何となくか今出てはいけない気がして、良太はドアノブを掴みかけた手をそっと降ろす。
「おい、ここでその話はやめろ」
別の声がした。
「誰もいないだろ。音もしない」
しばし、室内がしんと静まり返る。
良太は衣擦れの音すら気になって手を空中で硬直させる。
背中からひんやりと冷気に襲われるような気がした。
それから小用を足す気配がしたと思うと、「さっさと金を取って街を出るぞ」という声がした。
「女に請求しとけよ」
「わかったよ」
「金づるもできたようだし、ちとふっかけても文句は言わないだろ」
ドアが閉まる音がして、しばらく室内はまた静まり返った。
どのくらいたったか、良太はようやくぎこちなげに手を動かしたが、まだ、個室を出るまでに時間を要した。
女って………?
金を請求?
身体を動かす前に、頭の中でさっきの男たちの言葉がリフレインする。
何のことだ?
明らかに何やら犯罪めいた会話だった。
金を取ったら街を出る?
ふっかけるって、誰かを脅して金を巻き上げる算段だったのだろうか。
リアルな脅しの話など、こっちは聞きたくもないのに。
そこまで考えて良太はふうっと大きく息をついた。
にしても俺ってよほど、トイレの個室に籠るのと縁があるらしい。
以前、新人俳優の本谷和正がよりによって工藤に告白大会をしたのもスタジオのトイレだった。
あの時も出ようとしたら本谷の声がして、何故か咄嗟に個室に籠ったのだ。
思い出してちょっと苦笑する。
っと、そんなこと考えてる場合じゃないって。
現状を思い出してドアを開けようと手を伸ばしたその時、「良太、いるのか?」というよく知った声と共にドアが開く音がした。
「ジミー?」
良太はやっとドアを開けた。
「いたのか。なかなか帰ってこないし、腹具合がっていってたから具合が悪くなったのかと思った」
「いや、もう平気」
ジミーの笑顔にほっと安心して、良太は手を洗う。
「もう、次のセクション、始まるぞ」
わざわざ呼びに来てくれたジミーは、ほんとに人がいい。
「ありがとう」
「え、なんだよ、あらためて」
「俺がここまでやってこられたのって、ジミーのお陰だ」
するとジミーは、「ようし、今度俺が日本に行った時は、よろしく頼むな」と笑う。
「まかせとけって」
良太も笑ってそう返した。
次はスタジオで、警察署内の撮影が待っていた。
レイチェルを除いた署内のシーンで、警部が部下に雷を落としているところから始まった。
「トイレに籠ってたの? 大丈夫?」
内海までが横から良太に話を振る。
ちょっとにやにやしている顔だ。
「面白がっても何も出ないから」
良太が言うと、内海は笑う。
やがて撮影が終わり、三十分ほどのディスカッションのあと下のカフェでランチをしようということになり、三人はエレベーターへと向かう。
その時、「あと、ワンシーンだろ」と後ろから声がした。
良太は一瞬心臓が飛び跳ねた。
咄嗟にチラッと見やると大道具のスタッフらしい大柄な男と細身の男がいた。
「ああ。俺らはそれでお払い箱だ」
皮肉っぽい言葉が続く。
この声、あいつらだ!
良太は心の中で叫んだ。
トイレでヤバそうな話をしていた二人に違いない。
大柄な方が、ふっかける、とか何とか、よりヤバイ系の発言をしていた男だろう。
三人に続いて男二人もエレベーターに乗り込んだ。
目の前に立つ男は二人とも良太より十センチ以上は見上げるし、大柄な方はがっしりしていて腕っぷしも強そうだ。
「でもいいよねえ、セレブな彼氏つかまえて、レイチェル」
ため息とともに内海が言った。
「マナもつかまえれば?」
ジミーがからかい気味に内海がこぼした言葉に反応する。
「だってセレブつかまえるにはやっぱセレブじゃないとダメでしょ。ジョシュってIT企業のCEOで上院議員の息子で、代々富裕な家柄みたいだし」
良太が頭の中でてんぱっている間、ジミーと内海はそんな話をしていた。
やがてエレベーターのドアが開くと、二人組の男は外へ出るらしくエントランスへと向かった。
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