もう行っちゃうの、今度飲み行こうよ、という坂口の名残惜し気なセリフを後にして、良太は二時過ぎにスタジオを出ると、三時まで二十分ほどもある時間にMEC電機本社の駐車場にいた。
「しっかりしろよ、俺」
三時まで十分となったところで、良太はもう一度声に出して言うと、車を降りて一階の受付へと向かった。
「青山プロダクションの広瀬様ですね。少々お待ちください」
受付嬢が広報部を呼び出している。
「お待たせいたしました。どうぞこちらへ」
カード型の入館証を渡され、受付嬢が先に立って良太を広報部のある階用のエレベーターホールへと案内してくれた。
広報部は二十階にあるようだ。
階が上がるにつれて、ざわめいてきた心臓を良太は何とか沈める。
二十階でドアが開くと、そこにも入館用の受付システムがあり、良太がカードを画面にかざすとゲートが開いた。
と、そこにはいつのまにかあの男が立っていた。
「お待ちしておりました」
乱れのない身なり、エリート然とした佇まい、銀縁の眼鏡、通った鼻筋、顔だちは整ってはいるが、むしろ特徴がないのは敢えて表情を外に出さず、猫のように気配を消しているからなのかもしれない。
良太は波多野の後について歩いたが、波多野は良太よりは背が高いから百八十五センチくらいだろうか、肩から腕のあたりがおそらく平均的な日本人男性としてはがっちりしている。
おそらくスーツはオーダーメイドじゃないと、これだけ身体にフィットしないだろうと思われた。
スマートに見えるのは姿勢がいいせいだろう。
ハーバード大学を卒業後、ビジネススクールを経てMBAを取得し、アメリカの大手企業に在籍していたが、数年前に日本に戻り、コンサルティング会社に一年いたのちMEC電機に広報部長としてヘッドハンティングされたというのが、以前良太が調べた波多野のプロフィールだ。
無論それは表向きで、拳法か何か武道の達人で、おそらく工藤の伯父あたりの命を受けて工藤の周囲を監視している。
初めて波多野に出くわしたのは、千雪との打ち合わせで神楽坂の料亭『雅楽』に工藤と良太が出向いた夜だった。
打ち合わせと食事を終えてからタクシーで千雪をマンションの前まで送り、工藤と良太を乗せたタクシーが動き出そうとした時、どうやらタクシーをつけていたらしい男たち数名が千雪を拉致しようとした。
工藤と良太は千雪の声に気づいて車を降り、千雪を助けようとした。
その時だ、波多野が気配を消して彼らに近づき、たちまち男数名を叩きのめし、気が付くとまたどこかへ消えていた。
良太は男らに向かって行って逆に突き倒されていたから、彼らを助けた男の顔もうろ覚えだったし、その男が波多野だということは後になって知った。
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