霞に月の90

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 その頃、横浜厚生病院の救急救命センターの診察室では、当直でもないのに外科部長の石川が現れて急患の診療に当たっていた。
「悪い、知り合いなんで、お願いします」
 石川より遥かに古くからこの病院でナースを束ねている看護師長は厳しい顔を向けながら、「今夜は患者さん少なくてよかったです」と言った。
「すみません」
 石川は看護師長に頭を下げ、意識がまだ戻っていない良太を診ると、「脳震盪だろう」と言った。
 だが、石川を睨み付けている工藤を見ると、「念のためにCTも撮るか。不必要なCTは撮らない主義だが、金を払うのはお前だからな」と付け加えた。
「別に異常は見られない」
 やがてシャウカステンに並んだCT画像を見ながら、石川は言った。
「良太ちゃん、そろそろ目が覚めるんじゃないか?」
 軽口をたたく石川を、工藤はまた睨み付けた。
「ぶつけたらしい外傷は大したことないが治療しといたし、まあ、ともすると何カ月もかけて内出血するとかって場合もないとはいえないから、心配なら一か月後くらいにまた検査にくるといい」
 石川は工藤にそう言うと、「すみません、小野さん。後はだいじょうぶです」と看護師長にちょっと頭を下げた。
「何かございましたらお呼び下さい」
 看護師長は慇懃に言い残して診察室を出て行った。
「いったい何があった?」
「俺のせいでまた巻き込んでしまった」
 すると石川も眉を寄せた。
「勝手にお前を狙ってくるってやつらか」
 小田や荒木以外では、石川とは学部は違うが一時同じ合気道の道場に通っている時に出会い、うまがあって以来の腐れ縁だ。
 石川も横浜出身でたまたま一緒に飲んでいる時に組関係の連中に襲われたことがあり、その時工藤は石川に面白くもない出自の話をしている。
 その縁で石川は青山プロダクションの数少ない株主ともなっていた。
「VIP待遇の特別室なら空いてるから、一晩泊まっていくか」
 どうせお前が払うんだしな、とまた付け加えて石川は笑った。
 部屋の準備できたという連絡が入ると手の空いているナースを一人回してくれるように言い、石川は自分でストレッチャーを押してエレベーターに乗せ、特別室まで良太を運んだ。
 部屋では待っていたナースが良太をベッドに移動させるのを手伝ってくれた。
「……あれ、工藤?」
 石川が部屋を出て行こうとした時、良太が目を覚ました。
「おや、目が覚めた? 吐気とか、めまいとか、そういうのない?」
 すたすたと戻ってきた石川は優しい笑顔で良太を覗き込んだ。
「え……、今のところ、ないです」
 ちょっと小首を傾げる良太に、「そ、ならよかった。何か変になったらそれで呼び出して」と言うと部屋を出て行った。
「工藤さん、香坂さんは?!」
 ドアが閉まるのを待って、良太はすぐに工藤に問いただした。
「ああ、千雪が連れて帰った」
「怪我してましたよ?」
「大丈夫だろう」
 工藤はVIP対応らしい部屋に置かれているソファに腰を降ろし、ようやく深く息を吐いた。

 


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