河崎は浩輔にカードキーもくれた。
猫の世話のために、河崎の部屋に一度は寄ってから帰るのが浩輔の日課になったが、そのまま帰らせてもらえない日もよくあった。
けれど、仕事では河崎の創り出すまるで魔法のような世界に、浩輔は次第に魅入られていく。
どこにでもあるような一つの商品が、河崎の手にかかるとたちまち誰もが振り返るような代物に変わる。
同時に起用されたタレントたちから、彼らさえ知らなかった魅力を引き出させ、変貌させる。
浩輔は気づいていたのだ。
強烈な勢いで自分を喰い荒らした男に、とっくに心まで差し出していたことに―――。
入社して二度目の夏が過ぎようとしていた。
CF撮りに立ち会い、河崎の運転する車で山中湖から帰る途中、浩輔はナビシートでその電話を受け取った。
「河崎くんはそこにいるのか? 何度電話したと思ってるんだ! 田口綾乃が三時間も待たされてカンカンだ!」
馬場課長の怒鳴り声に浩輔は真っ青になった。
「あ、僕が……MECの笹岡さんと、田口綾乃のマネージャーにアポとって……」
つと河崎の右手が伸びて、浩輔の携帯を取り上げる。
「MECのCF撮りは明日の筈ですが?」
「田口綾乃の方では、今日の午後二時だと聞かされてたと言ってる! どういうことだ?」
電話の向こうで馬場は声を上げた。
タイミングの悪い時は重なるものだ。
河崎は常日頃から苛つくと携帯の電源をすぐに切ってしまう。
だからこそ浩輔は注意して自分の携帯はいつも携えていたのだが、日中は日差しがきつく、撮影中バイブにした携帯をポケットに入れたまま上着を手に持って歩いていて、車に乗ってからそれを思い出したのだ。
「ったく、役立たずが!! 河崎くん、君は一体何を教育しとるんだ?」
午後七時、河崎と浩輔が本社に戻るや否や、馬場は怒鳴りつけた。
普段から河崎を目の上のコブにしていた馬場は、ここぞとばかりに嫌味を並べたてる。
河崎は河崎で、政治家の縁故で入社した馬場を無能呼ばわりしていた。
「田口綾乃の事務所でも、当分スケジュールの調整がつかないと怒ってる。まあ、君のことだから、なんとかしてくれるんだろうがね!」
MECが新たに売り出すプリンターのCMには、MEC宣伝部長、楠田の要望で、売れっ子女優の田口綾乃を使う予定だった。
MECからは、担当を変えろといってくる。
今回の件で、MECを怒らせたのはうまくないと、さすがの河崎も上から減俸処分まで言い渡された。
「申し訳ありません! 俺のせいで……」
「てめーのせい? 自惚れるな! 一人前の科白を吐く前に、次から注意を怠るな!」
河崎は浩輔の謝罪さえ怒鳴りつけた。
その頃の河崎は海外での営業活動推進プロジェクトにまで引っ張りだされ、LA、パリと関連会社を飛び回っており、国内での河崎不在の業務を一手に引き受けた浩輔は、会社に泊り込みの毎日が続き、疲労は限界にきていた。
企画書制作から何もかもを、意地でも自分一人でやらざるを得なかったからだ。
それもみんなが帰った後にだ。
何しろ、河崎との噂以降、浩輔はずっと女子社員からあからさまな嫌がらせを受けていた。
見て見ぬふりの男性社員もしかり。
お菓子やお茶が浩輔にだけ当たらないなんてのは序の口で、浩輔の屑入れからゴミがあふれている、書類は隠される、河崎からの伝言だと騙されて、会議室で一時間も無駄な時間を過ごしたこともある。
さすがに警戒して、重要なものはすぐに片付けるようになった。
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