「千雪さん、何かありましたか? あとちょっとしたら俺出かけますけど」
広瀬良太はこの会社の社員で、工藤の秘書兼プロデューサーという肩書を持つ元気印の好青年だ。
今撮影が進んでいる千雪原作のドラマ『今ひとたびの』の制作にも携わっている。
「何や、冷たい言い方やなあ」
千雪はマフラーとコートを脱ぐと、窓際の大きなソファに腰を下ろした。
そこへこのオフィスの要、何ごとにも動ずることがなく、いつも穏やかな笑顔で迎えてくれる鈴木さんが、香しい紅茶とパンナコッタを運んできた。
「良太ちゃんも、お茶、いただいてからにしたら?」
ちょっと渋い表情を見せたものの、良太はすぐにやってきて千雪の向かいに座った。
「……それで、どうしたんです? わかった! また多部さんに追われてるんでしょ? ここにくればわからないだろうとか思って」
しばしパンナコッタに取り掛かっていた良太は、食べ終えてお茶を一口飲むと、千雪を糾弾した。
「お前な、追われるとか、人聞きの悪いこと言わんといてほしいわ。気分転換にあちこち歩いていろいろ考えたりしてるだけやし」
適当な言い訳を並べ立てたが、実のところ良太の言う通り、締め切りを少しずらしてもらったものの、思うように進まず、多部が今から伺います、とか言ってきたので、とっとと部屋を出た、というわけで、まさしく多部に追われているのだった。
「それならいいですけど。そろそろ多部さんとこの推理小説誌の締め切りじゃなかったですか? 年末進行で早まってるでしょ」
こいつは、どうしてそこまで知ってるのんや?
千雪はつい呆れた顔で良太を見た。
「俺のスケジュールまで把握せんかてええで?」
「つい、仕事柄、間に合わないということは許されないんで」
良太はしれっと言うと紅茶を口に持って行く。
前に、多部に追われてここに駆け込んだことがあって、その時に良太に追及された千雪は仕方なく、マンションの駐車場までやってきた多部にいつものオッサンジャージがフェイクだということを知られた上、京助がキスなんか仕掛けてきたために、二人の関係まで知られる羽目になったことを話した。
いや、京助が開き直って多部にぶちまけただけなのだが、お陰で携帯を持っていないというウソも看破され、以来、多部は遠慮なく締め切り破りの千雪の尻を叩くようになったのだ。
「暗に、俺が締め切り破っとるんを非難しとんな?」
「非難なんか。だって、作家さんって、締め切り破ってナンボでしょうが」
「やっぱ、お前、段々工藤さんに近づいて来よったな」
「だから、それ、やめてくださいって。冗談じゃないんで、工藤さんに似て堪るもんですか」
そこだけは、良太は全身全霊で否定するのだが。
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