裕子の家は勝浩の家の三軒隣で、それが縁で裕子と義勝が結婚することになったのだ。
父親の転勤で関西に越すまで、勝浩は幼稚園からすぐ近くにある陵雲学園へ通っていた。
ちょうど、ピアノの発表会を城島志央がぶち壊した翌年の春のことだ。
会場に蛙を放したのである。
陵雲学園理事長の孫でやはり近所に住んでいた一学年上の志央は姉の美央と二人で裕子のところに通っていたのだが、当時から評判の悪ガキだった。
あとになって志央は、ピアノの先生に来なくていいと言われたなどと言っていたが、彼の母親があまりの悪ガキぶりにやめさせたというのが本当のところだ。
現に、一生懸命ピアノに向かっていたところへ蛙に乗っかられ、演奏を中断せざるを得なくなって悔しい思いをした勝浩とは裏腹に、裕子はお腹を抱えて笑っていたのだから。
志央は裕子にピアノを習っていたことなどもう覚えてもいないのだろう。
あの頃から志央は勝浩にとっては目の上のたんこぶだったのだ。
女の子よりもきれいなくせに、やることは滅茶苦茶、蛙騒ぎだけではない、その頃から一緒につるんでいた長谷川幸也といたずらの限りを尽くしていた。
勝浩自身、登下校の途中で待ち伏せされて、帽子や靴を隠されたり、背中に張り紙をされたりと、数えあげればきりがない。
迷惑を被ったのは勝浩だけではなかったし、悪さも他愛ないと言えば他愛ないものだったけれど。
間もなく勝浩は転校してしまったので、きっとそんなことも志央や幸也はすっかり忘れているに違いない。
中学二年の時、父親が東京本社に栄転になると聞いて勝浩も喜んだが、関西にいた数年間人に貸していた懐かしい家に戻れるということは、陵雲学園や志央と近くなるということで、それはそれで思い出したくない過去に遭遇するということをも意味する。
勝浩は陵雲学園中学への転校を勧める父に、断固として、別の中学への転校手続きをせがんだ。
その時はまさか、この陵雲学園の高校に通うことになろうとは思わなかったのだが。