夏が来る30

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「お前、いつ俺が騙したよ?」
「またどうせ、ツアーにちょこっとでもとかって話だろ。言っとくが、もう地獄の猛暑の中で鬘かぶったりとか、もう金輪際やらないからな」
「俺は別に鬘かぶれとか言ってねえし。お前が素性を隠したいっつうから、苦肉の策で鬘になっただけだろうが」
二人のやりとりを聞いていた井原が、「元気、またライブに出るのか?」と割り込んだ。
「それが素顔がばれないんなら出てやってもいいとか、めんどくさいこと言うんだよ、こいつ」
 みっちゃんが答える。
「別に俺が出なくてもギターならいるだろうが」
「バカ言え! 『What‛up』作ったお前がでなくてどうすんだ」
「え、最近ヒットしてるやつ? 何、あれ元気作ったのかよ?」
 みっちゃんと井原に迫られて、元気は眉を顰める。
「いい曲じゃん、何で……」
 井原がそこで口を噤んだのは、またドアが開いたからだった。
 元気も入ってきた人物を見てちょっと驚いた。
「向井さん」
 髪はナチュラルボブ、白のカットソーにベージュの七分袖のジャケットとパンツ、ローヒールの女性はアクセサリーもなく薄化粧だが、利発そうなくっきりとした顔立ちで、おそらく会う者に好感を与えるタイプだ。
 相変わらず、胸はデカいな。
 心の内で元気は呟いた。
「久しぶり。お店を継いだって聞いてたから、帰省した時とか、覗いてみようかとも思ってたんだけど」
 そう言うとカウンターの二人に目を向けた。
「よかったのかしら、まだOPENだったから入ってきちゃったけど」
「どうぞ。コーヒーでいいですか?」
 元気は笑みを浮かべて尋ねた。
「ええ、お願い」
 向井はカウンターの井原から一つ開けて座り、周りを見回した。
「ほんとに昔のままね。バッハにヴィヴァルディにヘンデル。今もバッハなのね、無伴奏チェロ組曲」
 元気は向かいの前にコーヒーを置いた。
「ありがとう」
 向井はコーヒーをひと口飲むと、ほっと息を吐いた。
「何だか懐かしくなっちゃうわね、ここでこんな風にコーヒーを飲むと。『明日は明日の風が吹く』って」
「オヤジの口癖?」
「この店は何だか異世界のようにも感じていたのよ。お父様の雰囲気かしら。お父様、残念だったわね」
「俺はまだ、俗世界の雰囲気?」
 元気がおちゃらかして言うと、向井は笑った。
「まだまだね、まあ、そのうち元気の世界になるんじゃない?」
「相変わらず厳しいご批評」
 向井はフフフと笑い、「一番若い従弟の三輪田信之、今年一年生で音楽部なのよ」と先日の追いコンに現れた種明かしをした。

 


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