夏が来る36

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「当り前だろ? 何でお前んちに俺がいるんだって話になるじゃないか。あっという間に拡散するぞ」
「はあ。まあ、だからその、実は、豪の家なんです」
「え、豪の家?」
 井原は元気から聞いた話をかいつまんで話した。
「ふーん。豪がいいっていうんなら、ありがたいけど」
 響もその提案には乗り気になった。
「そしたら、俺とにゃー助が住める部屋を探せばいいだけだし」
「だから、俺んちでいいじゃないですか。それに万が一生徒に見つかっても、響さんが部屋を探しているうちって言えばいいだけだし、広いからシェアしてるとか、理由付けは何とでもなりますよ」
 井原は必死に言い募る。
 そんな井原を見て、響は一つため息を吐くと、「まあ、いいけど、とりあえずは、いざって時のことだから」と言う。
 響としてもせっかく改築までしたのに、離れを出て行かなくてもいいなら、それに越したことはないのだ。
 父親が嫌っていようと、離れで別々に暮らしていければとは思う。
 それに離れや庭には祖父の思い出もたくさん残っている。
 やっぱ、俺は考えが甘いんだろうけど。
 土曜日、響は約束の十一時前にタクシーでホテルAに降り立った。
 いつものようにTシャツにジャケット、チノパンだが、いろんなことを考えすぎて、左右違った靴下になっていたりして、落ち着かなかった。
 携帯に電話した時の母親は、子どもの頃とまったく変わらなかった。
「響ちゃん! こんばんは。こちらはやっぱり涼しいわね」
 何から話そうかと響が考えて用意した言葉は、美晴の明るい声にどこかへ行ってしまった。
「温暖化でこっちも年々暑くなってるみたいだよ。まだ六月なのに、日中三十度越えだし」
「そうね世界中の気温が上がってるものね。土曜日も暑くなりそうだけど、お昼一緒に食べましょうよ。十一時過ぎくらいにこっちに来られるかしら?」
「わかった」
「じゃ、ラウンジで待ってるわね」
 まるであの日の続きのような会話だった。
「響ちゃん、何が食べたい?」
「うーん、オムライス」
 その夜、美晴は楽し気にオムライスを作り、家族で食事をした。
 それきりだった。
 翌日には家から美晴の姿は消えていた。
「美晴は出て行った」
 父親はそれしか言わなかった。
「全く最後までどうしようもない嫁だったよ」
 吐き捨てるように言う祖母を響は睨みつけた。
 響は離れに籠り、ピアノをただ弾き続けた。
 悲しさより悔しさが勝っていたから涙が出てこなかった。
 祖父だけがそんな響にコンビニのおにぎりやサンドイッチを持ってきてくれた。
 響の中であの頃のことが映画のシーンのように蘇った。 

 


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