花を追い1

next  top  Novels


 東京の桜は昨日の雨でほぼ葉桜になった。
 開花は早かったが、気温が低い日が続いたためゆっくりと満開になり、長く人の目を楽しませてくれた。
 四月も半ば、花が終わると気温が急上昇し、今度は厄介な花粉の季節がやってきたのである。
 ここ乃木坂にある青山プロダクションでも、毎年花粉と戦い続けている人が約一名。
「今朝、うっかりお薬を飲むのを忘れてしまって……」
 マスクに赤い目で現れた鈴木さんは、くしゃみを連発しながら自分のデスクに行き、ティッシュボックスを横にパソコンの電源を入れる。
「今さっき飲んだので、もう少ししたらマシになると思うんだけど」
 今日は昨日とは打って変わって快晴、花粉がいつもより多く飛んでいる。
「あ、コーヒーのセット、俺やりますから」
 キッチンに立とうとした鈴木さんを、良太は気の毒そうに見た。
 広瀬良太、青山プロダクション入社四年目にして、万年人手不足の会社にとって社長秘書から運転手、雑用係からプロデューサーまでをこなす、今やはなくてはならない存在となっている。
 かろうじて良太は免れているが、花粉に悩まされている社員や所属タレントも数名いるので、毎年花粉症に見舞われている彼らを見ていると、こちらも何やら落ち着かなくなってしまう。
 鈴木さんは、かつて夫のDVから逃れるために娘と息子を連れて弁護士の小田を頼り、夫とようやく離婚したものの、結婚してから専業主婦だったために仕事を探さねばならず、小田にこの会社の事務を紹介されたという。
 小田は社長の工藤とは大学時代からの悪友で、人手不足の会社と仕事が欲しい鈴木さんの橋渡しをしてくれたわけで、双方ともに願ったりな結果となった。
 結婚前に会社勤務をしていたのでパソコン経験も長かったらしいが、入社後に自力でExcelやWordを勉強し、今では会社の経理を任せられるようになった。
 もともとは地方の裕福な家の出らしく、どこかおっとりと品がいい。
 最近息子は大学を卒業して独立し、今は大学に通う娘と二人駒澤大学から徒歩十分ほどのアパートでのんびり暮らしている。
 良太にとってそんな鈴木さんは、出張などのおり、猫の面倒を見てくれる有難い存在だ。
 幸か不幸か、良太は会社から徒歩数分のこの自社ビル七階にある『社員寮』に住んでいるため、鈴木さんも猫の世話をしてから帰途につくことができるというわけだ。
 それだけでなく、何くれとなく良太を気遣ってくれている。
 良太は日頃の感謝とともに、まだ辛そうな鈴木さんのデスクに、せめて淹れたてのコーヒーを置いた。
「ありがとう。でもこれからお出かけでしょ。ご自分の仕事、やって下さいな」
 そういえばもうそろそろ出かけなくてはならない時間がきていた。
「あ、はい、内野先生との打ち合わせ、やっぱ大学まで一時間弱はかかるよな、飛ばしても」
 内野孝蔵は八王子にある東京科学大学の動物行動学の教授で、MBCで進行中のプロジェクト「レッドデータアニマルズ―自然からの警告」では番組の監修を依頼している。
 以前、ディレクターの下柳らがアフリカに立つ前の打ち合わせで、「視聴者に自然の本当の声を伝えるためには、予定されている三人のナビゲーターの方々にも、どこかで生の実態を見ていただくことが必要だ」などと良太はつい口を滑らせてしまい、カメラマンの有吉には、「ジャングルの奥地なんかへ、タレントなんか連れて行けるか」とド素人が、と一蹴された。

 


next  top  Novels

にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説へ
にほんブログ村