いや前田はやや年をとった感があるが、その分この店自体が﨟長けた雰囲気を醸し出している。
子どもの頃、曽祖父に連れられて入った横浜の古いバーに似たところがあってこの店に足を向けるようになったのだが、工藤にとっては思いのほかいつ来ても落ち着ける場所のひとつになった。
良太のことではどうやらオフィスの連中がまた気をもんでいるらしい。
だが実際、工藤の中ではどうしたものかと迷いがあった。
ドラマのクランクアップのショットとともに菜摘がヨーロッパに発ったことはワイドショーなどでも取り上げ、どうやら不倫の件は事務所がマスコミには隠しおおせたのか或いは潰しおおせたのかは知らないが表沙汰にはならなかった。
良太と菜摘が親しげなのを黙認したのもちょうどいいメクラマシくらいに思ったのだろう、あの古ダヌキめ。
菜摘の不倫のことを耳にして、最初役を下ろすと言った工藤に、絶対マスコミは抑えると確約したAプロ社長の太りじしな顔を思い浮かべた。
菜摘と良太が何もなかったらしいとは、先日の良太の「腐れ外道」発言でわかったのだが、これが良太を離してやるきっかけではないのか、などと今まで何度も工藤がやり過ごしてきたジレンマに陥っているのである。
結局のところ、手を離しそびれて、良太を縛りつけている気がしないでもない。
だが………
火をつけた煙草を吸い終わる前に圧し潰した工藤は徐ろに携帯を取り出した。
シャワーを浴びて出てきた良太は鳴り響いたベートーベンの「運命」にドキリと立ち止まった。
「はい、…………接待、ですか? 明日の午後一時、葉山マリーナ? ですね。はい、わかりました」
電話を切ってから、良太は首を傾げる。
「接待って誰のだよ。マリーナなんて、まさかまたクルージングとか? ひょっとして紫紀さんとか、かなあ」
パンツ一丁に、首からタオルをひっかけ、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを半分ほど飲んでから、良太はぼんやりと呟いた。
「でもやっぱ、あんな腐れ外道なのに、呼び出されて嬉しい……んだよなぁ、俺ってほんと、バカだよなぁ」
情けないと思いつつ、ふうっと大きくため息をつく。
工藤を諦めようと思い、でも仕事はちゃんとやりたかったから、とにかく工藤のことは考えないようにしていた。
だから工藤との、薄暗いぶなの森の畏怖に慄いたあの夜も、随分昔のことのように思える。
随分工藤の本当の声を聞いていない気がする。
「でも、接待だって。しっかりしろよ、良太」
カーテンを閉めようと窓の外を見ると、土砂降りだった雨が止みかけていた。
昨日の暴風雨が嘘のように快晴である。
駐車場に車を置いた良太は眩し気に空を見上げてから葉山マリーナに向かう。
クルーザーで接待と聞いて、良太はボーダーTシャツの上にサマージャケットを羽織っていた。
やがて良太をみつけてオープンデッキから工藤が降りてきた。
白いリネンシャツを腕まくりして、グレーのデニムパンツにスニーカーと、工藤もいつものかっちりスーツとは違ってラフないでたちだ。
「こっちだ」
相変わらず、サングラスで隠れていてもその奥の視線は只者ではないオーラを放っている。
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