あの夜、悠をベッドに寝かしつけて六本木にかけつけてから部屋に戻ったのは翌日の朝だった。
とっくに悠は部屋を出たあとで、ジャケットを持っていったらしいのに、ちょっとほっとした。
「悠ちゃんは、ちゃんと食べていったのかな、アイちゃん」
冷蔵庫の中のチーズやサンドイッチはなくなっていた。
「まさか、またバイトなんかやっていないだろうな」
ついさっき届けられたできたてほやほやのポスターや案内状を見ながら藤堂は呟いた。
二つ折りで封筒に入った案内状は、学生の個展にしては少々立派過ぎるかもしれない。
「やっと今日は動けそうだからな。どうしようかな、大学、直接行って渡してくるか」
思い立ったら邪魔が入らないうちに、と藤堂は案内状の包みを持ってオフィスを出た。
吉祥寺にある東京美術大学構内にある駐車場に車を停め、洋画科四年のアトリエが東の絵画棟の四階だと行きずりの学生から聞き出した藤堂は、久々に会う悠の仏頂面を思い浮かべてクスリと笑う。
やっと悠の絵の実物を見られると思うとワクワクもする。
「あ、はい、五十嵐悠なら、ここ、ですけど」
応対してくれた女子学生は美人だった。
絵の具だらけのエプロンをしているのがアーティストらしい。
「高津、ハルちゃん、今日来てる?」
「あいつ、昨日から寝込んでるんだ」
あれが高津、か、と髭面の学生を認めたが、「寝込んでる?!」と、愕然と口にする藤堂のところへ、高津がつかつかとやってくる。
「五十嵐くん、風邪が悪化したのか?」
「何だ? あんた」
髭面は不躾にもジロリと睨む。
「銀河の藤堂だが」
「あんたが藤堂か! あいつここんとこしゃかりきになって描いてたはいいが、一昨日、ここで徹夜して、朝俺が来てみたら、高熱出してぶっ倒れてたんだよ!」
藤堂が名乗るや今にも掴みかかりそうな勢いで高津は詰め寄った。
「それで、今、どこにいるんだ?」
「俺の部屋で寝てる」
興奮気味に言い放った高津は「ちょっと、来いよ」と藤堂を促してアトリエを出ると、前に立ってたったか歩く。
藤堂は慌ててあとを追った。
「おい、それで、悠くんの容態は?」
廊下の端までいくと、高津は振り返った。
「無理やり医者連れてったら、肺炎起こしかけてたって……とにかく、これ以上あいつを追い詰めるのはやめてくれ。教授だけならまだしも、画商にまで、冗談じゃない」
「教授だけならって、彼、教授と何かあったのか?」
高津の剣幕にちょっとたじろいだものの、気になるキーワードに藤堂は聞き返した。
「教授とやりあって、卒制、一人でやるって啖呵きったんだ」
藤堂は驚いた。
「そういうことか」
「ただでさえ、あいつ、ひとりで気ぃ張って生きてるんだからな」
藤堂は言い返すこともできず、高津を見つめた。
「とにかく、よくなるまで、絵も何もやめだ」
迂闊だった。
もう少しちゃんと、聞いておくべきだった。
「わかった。無理をしないようにと、五十嵐くんに伝えてくれ。これ、彼が元気になったら君から渡してやってくれないか、案内状だ」
案内状の入った袋を受け取るものの、高津はまだ藤堂を睨みつけている。
「五十嵐くんのこと、よろしく頼むよ」
自己嫌悪と、いくばくかのわだかまりを抱いたまま、藤堂はキャンパスをあとにした。
灰色の空から、今にも大きな雨粒が落ちてきそうに雲はどんより重い。
十一月も半ばを過ぎ、街路樹は風に吹かれて葉を落として舗道を黄色く染めている。
窓辺にたたずみ、コーヒーをすすりつつ外を眺めている藤堂の目の先に、風に乗ってふわりと一枚葉っぱが宙に飛んだ。
「最後の一葉、なんて話、あったな……」
はあ、とまた一つため息をつく。
「何だ、あいつは、うっとおしい」
それを聞きつけた河崎は眉を顰めた。
「この忙しい時にギャラリーにかまけるのもほどほどにしろよ。」
「うるさいな、打ち合わせに遅れるぞ、とっとと行け」
イライラと藤堂は言い放つ。
「部屋の方、家具はそろったんですか?」
河崎が出て行くと、浩輔はらしくない落ち込みようの藤堂にそっと声をかけた。
「ああ……、さやかがくれたでかい冷蔵庫と、アパレルの女の子がくれたパイプハンガー、とりあえずベッドとパソコンだけは揃えたんだけどねー。データは無事でよかったよ」
藤堂は力なく肩を竦める。
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