真夏の危険地帯9

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 袖をまくったデニムシャツにジーンズ、それにスニーカーといつものいでたちに少し伸びた無精髭。
「あ、坂之上豪!」
 OL女子のトーンの高い声に紀子も振り返る。
「ほんと豪さんだ~! そっかこないだのライブもいっぱい撮ったんだ?! カッコよかったよねぇ、元気!」
「元気の写真、見たい~! 前にもらったヤツ、宝物にしてるんだよ~」
 うっわ……!
 火に油を注ぐような彼女たちの言動に、元気はまたしても心の中で喚いてちょっと天を仰ぐ。
 豪は二人に辛うじて頭を下げたものの、明らかに不機嫌そうなその表情に二人は、「じゃ。またくるねぇ、元気」と元気に手を振ってやっとのことで店を出て行った。
 電話で喧嘩して以来互いに連絡もしないまま四日が過ぎ、多少ヤキモキはしていた元気だが、とりあえず顔を見て心の中ではほっとした。
 仏頂面のまま肩にかけていたバッグを足元に置いてカウンター席に座った豪は唇をきっと結び、怒っている証拠にくっきりとした目をいつも以上にギロリとさせて元気を斜に睨みつけている。
 それを見て見ぬふりをした元気は、黙って紀子の持ってきたオーダーのコーヒーに取り掛かった。
「……コーヒー」
 ちょうど声をかけようかと思っていた元気より先に、ボソリと豪が言った。
 図体はでかいくせに実は人見知りなところがあって、知らない人間の前では口数も少ないしむっつりしているから近寄りがたく寡黙に見えるのだが、親しい人間の前だと豪は喜怒哀楽がすぐ表に出る。
 笑うと笑顔が異様に可愛いとそのギャップに女の子たちが騒いだものだ。
 面白くない時むくれている顔はまるでおもちゃを買ってもらえない時の子どもだ。
 今の豪がまさしくそれで、カウンターに肘をついて無暗に携帯をいじっている。
「今日はオフなんだろ? 次の仕事はいつからだ?」
 豪の前に入れたてのコーヒーを置くと、元気はさりげなく尋ねた。
「俺が仕事に行ったら、また一平と約束でもするのかよ」
 ざわっと元気の周りの空気が揺らいだ。
 たまたまカップを下げてきた紀子にも聞こえたらしく、元気と豪の顔を交互に見た。
「コーヒーゼリーとアイスコーヒー追加ね」
 紀子は豪の台詞には関知せず、ことのほか明るい声で元気にオーダーを告げた。
 今度は元気が静かに怒ったのがすぐにわかったからだ。
 普段は優しくてあたりがいい元気も、ヤロウ限定だが声に出して怒るくらいならままあることだ。
 ただし本当に怒ると態度が冷ややかになる。
 豪のはダダコネと同じようなもので、つい甘えて嫉妬でそんな言葉を吐いてしまったのだが、口にした途端うっかり地雷を踏んでしまったらしいこともわかったはずだ。
 元気は今日はもう口をきいてくれないだろう。
 とはいえ一度口にしてしまったことはもうなかったことにはできない。
 豪はふうっと大きく息をついてコーヒーをすすった。
 くっそーー!
 腹立ちまぎれにコーヒーを飲み乾し、空いたカップを弄びながら元気に目をやるが、それこそ目も合わせようとしない。
 自分の失言に豪は心の中で地団太を踏む。
 今日も昼過ぎからぐんと気温があがり、涼を求めて店にやってくる観光客の出入りが多かった。
 それもピークを過ぎた四時頃、男が一人入ってきて、最初からカウンター席に座った。
 観光客というには少しばかり毛色が違う。
 髪は少し長めに小奇麗に整えられ、ブラウン系のジャケットにカットソー、ロールアップしたベージュのパンツにローファーと一見地味目だが着こなし感が田舎者とは一線を画しているといった雰囲気だ。
 ポケットに無造作にサングラスをしまう仕草もわざとらしさがなく、そこそこのイケメンなのが周りの女性客の注意を引いている。
「ホットコーヒー」
 男がそう言った時、豪のジーンズのポケットで携帯が鳴った。
 とりあえずここは少し時間が必要だろうと、小銭でコーヒー代をカウンターに置き、「後でまた寄る」とだけ言い残すと、バッグを肩に引っ掛けながら仏頂面のまま豪は店を出て行った。
「うまいな」
 一口飲んで、男が言った。
「ありがとうございます」
 元気は洗い物をしながら軽く言った。
「これ、バッハですね、お好きなんですか?」
 店に流れている曲に気づいたらしく、気さくに男は声をかけてきた。
「亡くなった親父のコレクションなんです」
「なるほど、元気さんの音の根源はバッハか」
 それまで男に調子を合わせていた元気の顔が俄かに曇る。
「いや、それにしてもすごかったですね、久しぶりにライブに行ったら、何と元気さんのギターが聞けるとは思ってもみなくて、昔のままっていうか、前より研ぎ澄まされたっていうか」
 男は勝手にしゃべり続け、「あ、私こういうものです」とポケットから名刺を取り出してカウンターの元気の目の前に置いた。
 男にチャラい感じはないが、去年の赤坂プロダクションのこともあるし、業界関連の連中には関わりたくはない。
 元気は名刺を見ようともせずに、黙々と手を動かす。
「天木って言います。ファッション関係の雑誌なんですが、GENKIはちょくちょく取材させてもらっているんですよ。確かにコーヒーは美味いけど、やっぱ元気さんの天職じゃないよな」
 無言で元気に拒否されているとわかっているのだろう、自己紹介をして、天木は尚もしゃべりをやめない。
「さっきの、坂之上豪でしょ? やっぱ今もずっとつきあってるんだ?」
 天木が口にした言葉に、元気の手が一瞬止まる。

 


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