春立つ風に128

back  next  top  Novels


「今、佳境に入ってるとこなんです。絶対面白いと思うので、出来上がったら是非見てください」
「もちろん。頑張ってください」
 匠に真っ直ぐ見つめられた竹野は大きく頷いた。
「ありがとうございます。じゃ、良太、あとでホテルで」
「わかった」
 匠は次の撮影に備えて慌てて戻って行った。
「撮影してる時って、近寄りがたいくらいなのに、話すと普通なのね、檜山さん。すごい可愛い」
 竹野が言うと、「それ本人の前では言わない方がいいよ」と良太は忠告する。
「ああ、可愛いって?」
 竹野は笑った。
「そうだ、小林先生は?」
 竹野に聞かれて良太が見回すと、千雪は森村と何かコソコソ話している。
「千雪さん、一緒に帰りますか?」
 良太が呼ぶと、千雪は森村と離れてこちらへ向かって歩いてきた。
「先生も今夜、ホテルご一緒されるんですか?」
 期待を込めて竹野が聞いた。
「あ、いや、自宅に帰ります」
 千雪の答えに竹野はガッカリした顔をした。
「辻さん、ホテルに迎えに来てもらえばいいじゃないですか」
 良太が言うと、「せやな」と千雪も頷いた。
 ただ、千雪の表情が強張っている気がして、良太は眉を寄せた。
 何かあったんだろうか。
 だが、良太は今は尋ねられなかったし、千雪もそれから黙ったままだった。 
 『大いなる旅人』撮影陣が宿にしているホテルに『いまひとたびの』の撮影陣も一泊でもあり部屋が取れたため、夕方五時前には撮影陣のために借りたワンボックスでエントランスに乗りつけた。
 辻にはホテルに来てもらうように連絡を入れ、千雪もホテルのレストランで一緒に食事をすることになった。
 事態が急変したのはその夜のことだった。
「うわ、美味しそう!」
 牡丹鍋をメインにした豪華な会席膳に、ことのほか竹野は喜んだ。
 良太、竹野のマネージャー佐田に加えて千雪が同じテーブルに陣取ったため、竹野は余計に嬉しそうだった。
 もともと喜怒哀楽を隠さないのが竹野だったが、最近はかつてのエキセントリックできついところが消えて、笑顔が自然になったと竹野の評判は上向きだ。
 料理も実に美味そうに健啖ぶりを発揮し、ビールの後日本酒の熱燗を飲む頃になると、口が滑らかになり、竹野は千雪にいろいろと聞いてきた。
「子どもの頃から、暇さえあれば推理小説読んでて、最初はホームズから始まって、ポワロ、クイーン、それからファイロ・ヴァンス好きなんですよ!」
 推理小説の話になれば、千雪も応戦しないではいられないらしい。
「渋いですね、俺もファイロ・ヴァンス好きですね。クリスティではやっぱミス・マープルとか」
「あ! そうミス・マープル、忘れちゃいけませんよね! あたし、何といっても、バートラムホテルにて、と、鏡は横にひび割れて、が大好きなんです」
「ミス・マープルは何や、心の奥底を覗くような、あの感じがいいですね」
「そう! ホラーじゃないのに、背筋がゾゾってするあの感じ、大好き」
 二人が推理小説の話に夢中になっている頃、良太の携帯にラインが入った。
「藤堂さん?」
 何だろうと思って見た良太は、この事件、すぐ見て、という短いメッセージの下に張ってあるリンクをタップした。
 ニュース動画で、しばしその動画を見ていた良太は、「え! ウソだろ」と思わず声を上げた。
「どないした?」
 怪訝な顔で千雪が聞いた。

 


back  next  top  Novels