急に騒めき始めた空気に、そろそろ出るかと思うのだが、何となく身体が重く感じられて、佐々木は動きそびれていた。
「へえ、こうしてみると雨の海ってのも心があらわれるよな」
背の高い男が隣に来て言った。
「お前が、優等生みたいなセリフ、笑えるぜ」
後ろからそんな声がして、同時にパシャパシャっという音がした。
佐々木が緩慢な仕草で振り返ると、カメラを構えた若い男がまたシャッターを押した。
「あ…………」
しばし男は固まったままじっと佐々木を見つめた。
似たような反応は何度も経験しているので無視してマフラーを掴むと佐々木は立ち上がろうとした。
「あの、あの、ゴメン、勝手に撮っちゃって、すんげく絵になるんで、ひょっとしてモデルさんとか?」
「いや、俺は……」
おいおい、またかい、こないだも似たようなことがあったな。
さすがに呆れてしまう。
「うお! 男?」
佐々木と目線の位置が変わらないくらいの男はまだ二十代だろう、つばを後ろに回したキャップにさりげなく短めの髭をたくわえ、持っているカメラはプロ仕様のニコンでなかなかの代物だ。
「マジでモデルとかじゃない? ってか、もうこのままモデルになんない? こいつとの絡み、マジ、イケてるし!」
そういえば隣に立っているハーフっぽい男も、一緒に入ってきた何人かの男女もどうやらモデルのようで、何かの撮影だったのだろう。
「おい、シンちゃん、いきなりナンパしてびっくりしてるって!」
隣の男も笑いながら佐々木をまじまじと見る。
「や、でも、どっかで会ったことない? モデルじゃないっけ?」
苦笑してその場を立ち去ろうとした佐々木に、慌ててシンちゃんと呼ばれたカメラマンがポケットから名刺を取り出して差し出した。
「からかってんじゃないからさ、マジ、考えてみてよ? こいつらの事務所にすぐ紹介するし」
「いや、悪いけど。もっと若い子に声かけた方がええんやない?」
その時、賑わし気な店内のようすに気づいてカウンターの奥から男が小走りにやってきた。
「あ、すみません、やっぱり、佐々木さんですよね? オーナーの小暮です」
「ああ、その節は、どうもお世話になりました」
佐々木は若い連中からようやく離れてレジに向かう。
「申し訳ございません、お寛ぎのところを。知り合いのカメラマンなんです。雑誌の撮影とかで、若い人たちは遠慮も何もないですから」
声を落として小暮は自分のことのように非礼を詫びた。
「いえ、ごちそうさまでした」
「またのお越しをお待ちしております」
造りもロケーションもそれこそ絵に描いたようなこのカフェだが、人を惹きつけるのは小暮のセンスの良さと丁寧な対応の賜物だろう、映画やドラマのロケにも使われることがあるらしい。
多少突っ走り気味なのは若いやつらの特権だ。
やりたいことに一途に向かっているのを見るのは悪くない。
お陰で俺の頭も目、覚ましたらしい。
明日はブライトンの撮影やしな、しゃんとせな。
佐々木は暮れかけた雨の中を一路家路へと急いだ。
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