「悪いな、小林先生はこれから俺と小説の映画化の打ち合わせがあるんだ」
工藤は後部座席のドアを開けると、千雪を促して乗せ、自分も後から乗り込んだ。
「俺は諦めたわけじゃないからな、千雪!」
ドアを閉める間際、呻くような京助の言葉が千雪の心に飛び込んだ。
バックミラーに映る動かない京助の姿が次第に小さくなった。
まるで俺が京助を苦しめてるみたいや。
ほんで、俺も京助のことを考えて苦しいやなんて、何にもええことあれへん。
胸の中はキリキリ痛むばかりだ。
あの女の人はどないなってん?
早いとこ、目覚ましたらええんや。
男の俺なんか追いかけてたって、先がないで。
第一、家族とかいろいろ、面倒くさ過ぎる。
面倒なんはごめんや。
「それで? どこへお送りしますか? 先生」
隣で工藤が面白そうに尋ねた。
「…そやな。軽井沢でなら、映画化の話、聞いたってもええ」
「ほう? どういう風の吹き回しか知らないが、だったら先生の気の変わらないうちに行こうじゃないか。菊池さん、社に戻ったら、万里子の世話を頼みたい。打ち合わせは電話でする」
「わかりました」
菊池と呼ばれた男は運転席で返事をした。
青山プロダクションのビルの駐車場に車が滑り込むと、工藤は今朝方軽井沢から乗ってきた大型ベンツに乗り換え、千雪を助手席に座らせた。
窓越しにオフィスに戻る菊池と一言二言言葉を交わしてから、工藤はエンジンをかけた。
「行く前に、アパートに寄ってほしいんやけど。着替えしたいし」
「何なりと」
工藤は千雪から住所を聞くとナビに任せてハンドルを切った。
それは千雪にとっても思わぬ展開である。
アパートに寄って着替えをすると、バッグを抱えて車に戻った千雪だが、どうして自分がまた、このエロオヤジの車で軽井沢に戻ろうとしているのか、千雪自身よくわからなかった。
東京にいたくない、自分の部屋にいたくない、それに京助とはやはり距離を置きたい、そういうことか。
ここ数日のうちにいろいろなことがあり過ぎて。
はたと気づくと、どこもかしこも満開の桜が窓の外を通り過ぎる。
花はきれいで、そしてやはり心の琴線をきつく揺らす。
信頼していた渋谷にも裏切られた気がした。
だからつい、あんなにきつい皮肉を並べ立てたのだ。
いや、必ずしも警察を信じきっていたわけではない。
多分、もう誰も本当に信じることができなくなっている。
振り向けばきっとあの笑顔があると、そんな風に信じられる時はもうないのだ。
「で? 本当のところはどうなんだ?」
唐突に工藤が聞いた。
「何が?」
「京助だ。あいつかなりお前に入れ込んでるじゃないか。いいのか? ほんとに別れちまっても」
よもやの問いに千雪は言葉に詰まる。
「何でそんなことあんたに答えなあかんね……」
「まあ、完璧あいつと別れるってのならいいさ、俺の部屋は隣だから、その気になったらいつでもきていいぞ」
「これ以上そういう冗談言うんやったら、映画の話なんかナシや」
「おーっと、わかった、ほんの軽い冗談だ。軽~く聞き流せばいいだろうが」
工藤はニヤニヤ笑う。
back next top Novels
