梅雨本番に突入したある日、ニューヨークに戻っていた霧弥から唐突に良太の携帯に連絡が入った。
「結構入り込んで一気に創っちまったからな」
成田についたばかりだという霧弥は、全体の構想ができたからスタジオに来いと言うのだ。
「わかりました。では、野元監督のご都合をお聞ききして…」
「ああ、いい、いい。文句は言わせねえし、あとでテープ、お前から渡しとけよ。俺は二、三日でとんぼ返りするつもりだし」
「はあ……」
良太の都合はおいといて、霧弥のスケジュールに合わせて翌日の夕方、霧弥の指定したスタジオに行くことになってしまった。
「でも、ほんとに俺だけでいいんですか?」
「いいってことよ。また小林センセを担ぎ出すってんならかまわねえが……」
学会で忙しいと言っていた千雪をまた呼び出せとか言われなくて、良太はほっとする。
「また霧弥が難癖つけてきたのか? 小林センセを連れてこいとか」
たまたま居合わせた小笠原がニヤニヤと口を挟む。
「いや、何かもう曲ができたみたいで。全くアーティストってのはやることが予測できないわ。けど、ほんとに野元監督も一緒じゃなくていいのかなあ」
「ああ?」
「明日スタジオに来いってさ。データ渡すから俺だけでいいってんだけどさーー」
何かこう釈然としないものがある。
「良太、ちょっと」
オフィスを出る小笠原が思い出したように良太を手招きする。
「何だよ?」
良太が傍に寄ると、「気をつけろよ、ヤツに食われねえように」と小笠原は耳打ちする。
「はあ?!」
「あいつ、超面食いらしいけど、男もいけるってよ」
「小笠原さん、車、まわしました」
まさか、と固まる良太を残して、小笠原は呼びにきた真中と一緒にオフィスをあとにした。
さすが、KIRIYA、と良太も感嘆するほかなかった。
あれだけの短期間で、こんな音楽ができるなんて。
「すご……」
思わず呟いた良太を見て、霧弥はニヤリと笑う。
ソウルフルなボーカルが静かに流れる。
ハスキーな歌声は霧弥本人のものだ。
メロディが小説の文字を絵に描きなおして、心に語りかけてくる。
小説の主人公である老弁護士と彼の事務所の若手弁護士は、犯人とされていた容疑者の冤罪を晴らし、物語はラストへと読者を連れていく。
二人はまさかと思われる真犯人を突き止め、真犯人宅に向かうのだが既にそこにその人物の姿はない。
どこへ、と推理した二人は真犯人が向かったと思われる嵯峨野へと車を走らせる。
だが、その頃には真犯人は木立ちの中へと入っていて、警察の力を借りて二人がその人物を見つけた時には既にこの世の者ではなくなっていた。
雪に埋もれたデスマスクにKIRIYAの歌声が重なって聴こえてくるのだ。
霧弥を案内した嵯峨野は夏をこれから迎えようという季節だったはずなのに、何故か降りしきる雪が木立ちを覆い、墨絵の世界がそこに広がる。
山の稜線から遥か遠くへと続く空の永遠へと聴く者を連れて行こうとするようだ。
閉じた瞼の奥が熱くなり、フェイドアウトする音に目を開けると、切なさに知らず涙ぐんでいる。
それに気づいて慌てて良太は手の甲で目をこする。
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