悠が目覚めた時にはもう藤堂は出かけていて、テーブルにはスクランブルエッグにパンとサラダの朝食と、メモが添えられていた。
『からだがつらかったら、連絡をくれ。迎えに行くから』
メモ書きを読んで、悠は唇を噛む。
そうだよな、きっと藤堂は大人の優しさで、自分を甘やかしてくれただけなのだ。
俺が酔って絡んだから。
涙がこぼれてメモをぬらした。
絵の搬出を前に、悠は画材と僅かな衣類が詰まったリュック一つを手に藤堂の部屋から姿を消した。
「どういうことです?」
美保子に連絡をもらって駆けつけた藤堂は、つい声高に問いただした。
席を外した隙に、ギャラリーの使用料四十万と藤堂宛にメモを残して悠がいなくなったのだという。
『残った絵は処分してください。お世話になりました』
たったそれだけの走り書きを読んだ藤堂はすぐさまオフィスを飛び出し、とにかく大学方面へ車を走らせた。
車の中から高津に連絡を取ってみるが、悠は大学にも来ていないという。
「どこか心当たりはないか?」
「んなもん、わかるかよ!」
悠が絵と金を残していなくなった旨を説明すると高津は怒鳴り返した。
「あんた、何やったんだ? 悠が飛び出すようなこと、何かしたんじゃねーだろうな?」
そう言われると、藤堂はぐうの音も出ない。
夜が明けて、腕の中で眠るあどけない悠の寝顔を見た藤堂は、自分がとんでもない大罪を犯したような気がして、血の気が引いた。
可愛い、大切な愛しい者をめちゃくちゃにしてしまったのだと。
黙って部屋を出てしまったのもそんな罪悪感に打ちのめされたからだ。
「昔住んでたって、江ノ電あたりとか……」
ふうー、というため息のあとに、高津はポツリと言った。
藤堂はハッとする。
そうだ、海か!
二四六から環八を抜け、第三京浜を車で突っ走る。
さらに横浜新道から国道一号へとやってきた藤堂は新湘南バイパスを通り、海を横目に一三四号線でスピードを緩めた。
どこだ?
そのまま写したとは思えないが、あの海岸はどこかにあるに違いない。
車を走らせながら、藤堂は悠が絵に描いた砂浜を探した。
『鵠沼のじいちゃんばあちゃんの店』、確かそんなことを言っていた。
そろそろ日も暮れかかっている。
どこにいるかなんてわかりようもないのに。
『俺の庭だぜ、庭』
それでも、何としてでも悠を見つけるつもりで、藤堂はあちこち走り回った。
鵠沼海岸あたりに差し掛かり、太陽が今にも沈みかけるその時だった。
海岸に佇むシルエット。
見間違えはしない。
あれは―――!
冬の海は静かな波を湛えて悠を迎えた。
冷たい風が頬に突き刺さるようだ。
悠はマフラーを巻きなおし、肩を竦めて歩き出す。
何だか、何もかもが色褪せてしまった。
卒業なんかどうでもよかった。
いいや、またこの町で生きていけば。
「悠ちゃん!」
空耳だと、悠は思う。
こんなところに都合よく、藤堂がいるはずはないから。
「悠!」
悠は足を止めた。
まさかと思う。
「悠ちゃん、待て!」
振り返ると、こちらに向かって駆け下りてくる長身の男が見えた。
驚いた悠は途端、駆け出した。
全速力で走ったなんて、いったいいつ以来だろう。
藤堂は必死で悠を追いかけた。
「……待てって言ってるだろ! 悠!! 一体全体どういうことなのか、説明しろ!」
怒ったことなんかなかった藤堂が、怒っている。
ようやく悠は立ち止まって振り返った。
「ちゃんとギャラリー借りた金は置いてきただろ! 今更何の用だよ!」
「絵が売れたら、ギャラリーが四〇パーセントをもらう。そういう契約だったはずだ。絵が売れたんだからお前が支払う必要はないし、俺が買ったのは一枚だけだ」
「処分してくれって言った!」
「置いていくなら、それの代金も支払う。第一俺はまだ君に渡してないだろ。なのに何で勝手に行方をくらましたりするんだ!!」
「そんなもの………いらない! いらない! いらないっ!!」
「……悠……」
藤堂はため息をつく。
「悪かったよ。酔った君に手を出したことを怒っているんなら………、当然だ。謝っても許してくれないかもしれないが………」
「うるさい! 謝ったりすんな!! ちょっとした遊びだろーが! お互い」
さっきまでは慰めでも嬉しかったなんて思っていたのに、本人を前にしたら悪態しか出てこない。
悠は藤堂に背を向けて、また歩き出した。
「だから……ちょっと待てよ、悠ちゃん」
「とっとと帰れ! もう二度とあんたの面なんか見たかないんだよ!」
ひどく、恐ろしく寂しかった。
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