幻月53

back  next  top  Novels


 結局、この事件は新聞、テレビ、ネットを通して一時あっちでもこっちでも大いに報道されたが、工藤の名前はどこにもなく、またしても小林千雪とその仲間たちのお陰で、警察も運よく冤罪の謝罪会見をするところを逃れたわけである。
 事件報道の空騒ぎもやがて人気芸能人の不倫報道にとってかわられ、十月に入る頃には人々の話題から消えた。
「とりあえずお疲れ様」
 藤堂、良太、直子の三人が某五つ星レストランの個室でグラスを合わせたのは、『田園』の制作発表が終わった数日後のことだった。
「今夜は俺からのお礼ですから、心おきなく召し上がってください」
 良太の言葉で、フレンチのコースを堪能しつつも、しばし三人は言葉がなかった。
 一通り食事を終えて、コーヒーになった時、直子がようやく口を開いた。
「何だか、ほら、ホビットたちが冒険から戻ってきて、ちょっとしんみりと食事をしてるって、そんな感じ」
 藤堂や直子は小説を読み込むほどのファンなので、うんうんとお互いに頷いた。
「冒険もほどほどにって、とこだけどね」
 良太は映画を見た程度だが、直子の言う意味がわからないではない。
「それと、藤堂さん、ほんとに巻き込んで心配させてすみませんでした」
 直子は藤堂に頭を下げた。
「もう責任を感じたりしなくていいからね」
 藤堂はそれより気がかりなことがあった。
「ほんとに佐々木さんに話さなくていいの?」
「うん、佐々木ちゃん、聞いたらすごくそれこそ考え込んじゃうし、またあの時の植山のことを思い出しちゃうかもしれないから、仮に時間がたってほとぼりが冷めた頃にたまたま耳に入ったりしたら、その時に話すから」
 直子は佐々木のことを大切に思うからこそそう断言した。
「でもこんな大事になるとは思わなかったんだけど」
「まあ、誰もそんな事件に巻き込まれるとか、思ってないよ」
 良太は言った。
「でも、一番の被害者は工藤さんだよな」
 藤堂が改めて言った。
「何の関係もなかったのに、撮影の時のことでたまたまSNSとかで拡散しちゃって、濡れ衣を着せられたんだから」
「いや、あの時のことは俺にも責任があるし。まあ、世間に晒しちゃったのが、あんな強面のおっさん顔だから、しょうがないよ」
 良太の言葉に、藤堂も直子も笑った。
 良太も笑った。
 それぞれがそれぞれの笑顔に日常が戻ってきたことに胸を撫でおろしていた。
 ただ、良太は工藤がこの事件と全く何の関係もなかったのではないことは口にできなかった。
 事件の話題が徐々に世間から消え去ろうとしていた頃、ひっそりと新聞の隅にフィリピンで日本人の男が大量の大麻所持で警察に逮捕され、本人は否認しているが物証もあるため、おそらく終身刑は免れないだろうというような記事が出ていた。

 


back  next  top  Novels

にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説へ
にほんブログ村
いつもありがとうございます