小さな広告代理店での仕事は思った以上に忙しかったが、それなりに元気も充実した時間を過ごすことができたし、心の中のモヤモヤした感情をその時だけは追いやることができた。
営業の先輩について得意先に出向くと、当りの良さを発揮して元気はすぐに相手先に気に入られ、新しい仕事をもらったりした。
髪は少しばかり短くして後ろできっちり結わえていたものの、普通の会社なら即刻レッドカードだったかもしれないが、広告代理店という仕事柄か社内から文句が出ることもなく、ライブ活動を続けてもいいというのは社長との約束だったから、むしろみんなが元気に対して好意的だった。
仕事に接待、週末のスタジオに月一回のライブ、そんな慌ただしい日々を過ごすうち、あっという間に数か月が過ぎ、また夏が巡ってきた。
「お盆に帰るんだろ? 俺も元気の田舎行きたい!」
唐突に切り出したにもかかわらず、もう宿も取ってあるのだと、豪は言った。
「バカか、金もないくせに! 俺のうちに泊ればいいだろ!」
「え、泊めてくれんの? やったー!」
うまく豪にのせられた気がするものの、心は妙に高揚している。
「ほんとは、元気が好きだっつー冬に行きたいんだけどさ。スキー、教えてもらいたいし。な、冬も一緒に行っていい?」
「図々しいやつだな」
八月半ばの旧盆の頃、夏休みを貰った元気は豪を連れてT市にある実家に帰った。
喫茶店を経営する穏やかな父親、いろんな習い事に手を出して、友達も多いらしい愉快な母親。
それからみんなに可愛がられている柴犬のリュウ。
そこへ外務省に勤めているという、エリートな長男が妻子を連れて帰ってきたものだから、小さな家は一度に賑やかになった。
年の離れた元気の兄、勇気は、元気をいたく可愛がっていた。
勇気は大柄で明るい豪のことも気に入ったようで、元気と豪を鮎つりに連れて行ってくれることになった。
これに父親が行くと言い出し、勇気の小学生の息子二人も加わって、明け方から大騒ぎで渓流に向かう。
獲りたての鮎を川原で串焼きにし、同時に肉や野菜のバーベキューを堪能したあと、豪が小学生の二人と同じ目線で夢中になって川に入って遊ぶのを、元気は木陰で呆れながら眺めていた。
豪が撮りまくった写真には燥ぐ小学生らの中に、木陰でうたた寝をする元気のショットが何枚も混じっていた。
豪と元気は、リュウを連れ、朝晩二人で街のそこいら中を歩いてまわった。
五日ほどの短い夏休みをひとしきり楽しんだ後、「今度は正月にでも遊びにいらっしゃい」と元気の家族に送られて、豪は、ぜひ、と笑顔を返した。
帰りの車の中でも、豪は鼻歌交じりでハンドルを握りっていた。
冬――――か……そんな遠い日のことを考えることは、できないさ。
豪の横顔を見ながら、燻っていた不安が元気の中で目を覚ました。
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