東に突っ込まれて、紀子は言葉に詰まる。
「こっそり昔の彼女に会ってたのよ。いいのよ、あんなやつ。それより、元気ってば、自分のこととなるとてーんでダメなんだから!」
眉を寄せ、紀子は勢い込んで話す。
「いつだったか、店休んで東京に行ってたらしいじゃないか。そこでばったり、東京に残してきた恋人に会った…とか」
グビッとコーヒーを飲むと、東は訊いた。
「うーん、ちょーっと違うかも」
煮え切らない答えを、紀子は返す。
元気の方は彼らのことすら目に入っていないといったところだ。
何も手につかない、そんな自分を元気自身もてあましていた。
散歩の時は、リュウにまで心配そうに見つめられている気がする。
家に帰れば、普段は息子のことになど頓着しない母親にさえ心配された。
しっかりしなくてはと思うそばから、傷ついた目を向けて去っていった豪のことが、幾度となく頭を過ぎる。
一途で、素直で、ガキみたいに笑う、あんなやつを傷つけたくなんかなかった。
動物たちの嘘のない写真が撮れるのは、荒んだ戦場でさえ子供たちの笑顔が向けられるのは、あいつの心が澄んでいるからだ。
そんなやつを、俺はまた……
思い起こすたびに苦い思いにかられるのだ。
だから、何だってまたわざわざこんなど田舎に来たりするんだ!
「紀ちゃん、何か知ってるんなら教えろよ」
もどかしそうに、東が問い詰めようとした時、ドアが開いた。
「いらっしゃいま…せ…」
カウンターの椅子から慌てて降りて、振り返った紀子は、そこにぬっと立っている男を見て言葉をなくした。
黒いロングコート、銀色の髪は後ろに撫で付けられているが、額に垂れている一筋が男の色気を感じさせる。
さらに黒いサングラスがその存在感を必要以上にアピールして、端正な顔が冷ややかだ。
「コーヒー」
持っていた紙袋をカウンターに置くと、静かなバリトンの声が言った。