花のふる日は 30

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「なるほど、空気の良さそうなところでなら執筆もはかどりますよね。大変、楽しみです。明日、お待ちしてますので、よろしくお願いいたします。」
「あ……はあ、ほな、よろしゅうに」
 日を伸ばしてもらうなんてとんでもない、しっかりと明日までにやれ、ということらしい。
 受話器を置くと、千雪は、はああ、と大きく息をついた。
「エッセイやなんて、何で受けてしもたんや……しゃあない、さっきのおっちゃんに聞いてみるか」
 タブレットで現在地は確認した。
 下書きをしてから打ち込むことにした千雪は、とりあえずレポート用紙か何か仕入れてこなければと、階下に降りて行った。
 広いリビングには、品の良いアンティークのチェストやテーブルなどに、嫌味にならない雰囲気で、アールデコの象牙やブロンズでできた彫像、ラリックやガレなどのガラス器が飾られ、壁にはこの辺りを描いたと思われる数枚の静かな風景画が室内の空気を和ませている。
 壁の真ん中にはレンガ造りのまさしく年代を感じられる大きな暖炉に火が燃えていた。
「おっちゃん、どこや?」
 リビングを突っ切ったところで、カンッ、カンッ、という音がどこからか聞こえてきた。
 その音を辿って廊下を歩いて行くと、裏庭でさっきの老人が薪を割っているのが窓越しに見えた。
「うわ、ほんまにくりからもんもんや」
 思わず口にするほど、上半身を脱いで斧を振る老人の背中にはみごとな倶利迦羅明王が刻まれている。
 老人がふっと身体を起こし、腰を摩りながら傍らのタオルで首の汗を拭き始めたので、千雪は声をかけた。
「すごい倶利迦羅明王やなぁ、おっちゃんの背中」
 老人は振り返り、ちょっと千雪を見つめた。
「ようわかったな、倶利迦羅明王じゃと」
「前にちょっと興味あって。でも、ほんまのこんな立派な刺青見たん始めてや」
 倶梨伽羅紋紋とは刺青そのもののようにいわれたりするが、もとは不動明王の化身の竜王である倶利迦羅明王の刺青のことをいうのだと、調べたことがあった。
 炎に包まれながら黒い竜が剣に巻きついて、それを飲み込もうとするようすが描かれている。


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