クリスマスイブの夕方のことだ。
彼女との約束までまだ時間があるな、と一張羅のジャケットを羽織り、ウキウキ帰り支度をしていた佐久間は、「あかん、これ、先輩に頼まれとったんや、忘れとった、どないしょ」と、デスクの上の封筒に気づいた。
「木村さん、もう休みやよな」
慌てて携帯にかけると、うまい具合に図書館にいるという。
「え、小林先生が?」
佐久間が千雪に預かった封筒を差し出すと、木村が黒縁メガネの奥で目を丸くした。
木村は中を確認して、はあ、とため息をつく。
「やっぱ、さすが、名探偵! わかっちゃったか」
「え、何、何かあったん?」
「いいんです! よしっ! またがんばろっと!」
木村は両手でガッツポーズをとると、「メリークリスマス!」と言い残し、首を傾げる佐久間を残して図書館を出て行った。
深くて心地よく、もう二度と目を覚ましたくないような微睡に身を委ね、永遠に奏でられるドビュッシーの音の優しさに浸っていたかった。
浸っていたかったのに、何かが身体を揺さぶっている。
ああ、もう、煩い、かまうなや………!
「………って、ちょっと、起きてくださいってば! 俺出かけるんですから、千雪さん!」
どこかで聞いた声だと思いながら、千雪はうっすらと目を開けた。
ぼんやり見つめていたのは目の前にあったテーブルと、向かいのソファ。
え………、心地よい、永遠のドビュッシーは………?
頭の中に充満していたドビュッシーは、身体を起こした途端、消え去った。
「ほんと、ガチ寝しないでくださいよ、千雪さん」
「え、良太?」
ああ、せや、青山プロダクションのオフィスや、ここ。
何や、夢か。
えろ、長い昔の夢をみよったな。
いつの間にか毛布が掛けられていた。
「鈴木さん、もう帰りましたし」
「え、もう、夕方? ドビュッシーは?」
「ドビュッシー? って、あれ? ひょっとしてさっきやってたピアノのコンサートのCMですか?」
何もかんも夢か。
「コーヒー飲みますか?」
「……ん……」
良太が入れてくれたコーヒーを飲むうち、千雪はようやく現実に戻ってきたようだ。
「何や、腹減った」
千雪の呟きに、良太は一つ溜息をつく。
「じゃ、どこかで食事しますか? 俺も食ってから出ようと思ってたし」
「ほな、奢ったるわ」
「やた!」
二人はコートを羽織り、良太は灯りを消すと、オフィスを出た。
「ひえ、寒!」
マフラーをぐるぐる巻きにした良太が首を縮こませながら施錠する。
「それで、キャストどうするんです?」
階段を降りながら良太が聞いた。
「やから、良太にお任せ!」
「も、しょうがないなあ」
「竹野って子にする、言うてたやろ」
「はあ、竹野さんは一応候補ですけど人気女優だし、事務所に打診してみないと」
「めんどいなあ」
ほんまに自分が笑うとるのんが不思議になることがあるけど。
もうこない時間が経ってもうたんやなあ。
「うわ、雪やで」
「ほんとだ!」
空を仰ぎながら、二人して子供のように燥ぐ。
「千雪さん、携帯、ポケットで鳴ってますよ」
「うん。京助やろ」
「出ないんですか?」
「店入ってからな、寒いし」
「じゃ、あそこ、入りましょう」
手っ取り早く目についたカフェレストラン。
粉雪が舞う夕闇に、灯りが一つ二つと増えていく。
店の中はきっと温かい。
あったまったら、あのうっとおしい声も聞いたらなな。
千雪と良太は足早にレストランの中へと入って行った。
― おわり -
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