千雪の好きなものを詰めた弁当をよもや捨てるなんてことはあり得なかった。
京助の作るそぼろ丼がいかに美味いかは、身を持って知っている。
だがしかし、公衆の面前でこの弁当を広げるのは、千雪にとって至難の業だった。
冷たい個室のトイレの蓋の上に腰を下ろし、恐る恐る袋から弁当を取り出そうとしたその時、トイレのドアが開く音がしたと思うや、隣の個室のドアがバタンとしなるほどの音をさせて閉まった。
さらに続けて、はっきり言って人のはあまり聞きたくない、おそらく腹が急降下しているのだろうと簡単に推測できる音を耳にした千雪は、慌てて弁当をまた袋にしまうと、個室を飛び出してそそくさと手を洗い、トイレを後にした。
「くっそ! 京助のやつ、いったいどういう嫌がらせや!!!!」
ついつい口にしながら、千雪は仕方なくアパートまで十数分の道のりを小走りに急いだ。
「ほんまにこれやったら弁当の意味がないやろ! 第一、食べた気ぃがせぇへん」
そそくさと食べ終えてアパートから研究室に戻る道すがら、千雪の中でまた沸々と京助への怒りがこみ上げてくる。
「何がバレンタインデーや! チョコレート会社の陰謀に乗せられよって!」
忙しくてすっかり忘れていたが、今日が二月十四日だったことを千雪はあらためて思い出した。
通りにあるコンビニに掲げられたバレンタインデーの文字までが千雪に八つ当たりされる。
しかし、千雪にとってバレンタインデーの試練はまだその先にあった。
「小林、すげぇ熱烈なのが届いてるぜ。ほんとに彼女できたわけ?」
「ほんまに、さっきの弁当といい、彼女ジュンさんっていわはるん?」
研究室に足を踏み入れるなり、先輩の岡村と佐久間が矢継ぎ早に質問を浴びせかけた。
嫌な予感に襲われつつも自分のデスクに辿り着く、その前に千雪は全てを悟る。
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