猛暑が長かったせいか、いきなり寒くなった感があるが、まだ青々としているような樹々が色づくのは先の話らしい。
今日はおらんのんか。
いつも通り抜ける公園を歩きながら、あのハスキーに出会ったベンチまで来てみたが、三十分程座って千雪はまたぼんやりしていた。
最初に会ったのが土曜日のちょうど今頃だったが、とハスキーに会えるのを楽しみにしていた故に気分が萎んでいく。
このところ論文で忙しくしているのは京助の方で、大学のモルグから戻ってきたと思うと千雪のおはこを奪うかのように、スエットの上下で無精ひげもそのまま、裸足で部屋を歩き回り、物置と化しているグランドピアノの上には、分厚い本が何冊も広げられ、リビングのテーブルでひたすらパソコンを叩いている。
さすがにそういう時は千雪の部屋へ浸食することはないが、ピアノの上の灰皿がテンコ盛りだ。
いつもなら京助にとって気分転換になる料理も、今に限ってはそれどころではないらしく、出前やウーバーイーツで、上等の松竹梅弁当や有名レストランの一流料理が千雪のところにも届く。
「つまらん」
料理は美味かったが、一人で食べてもせっかくの食事が味気ない。
本を読むのにも飽きたところで、犬に会えるかもと期待をして出てきたのだが、そっちもどうやら空振りのようだ。
暇があるのなら文字でも書けばいいのだろうが、だからと言って書けるものでもないのが千雪の天邪鬼な性分だ。
やっぱ寒うなってきたな。
スエットの上下の上にベンチコートを羽織っていたが、そろそろ夕闇が下りてきそうな時刻になり、街灯も点き始めている。
帰るかと腰を上げた時だ。
「小林?」
はっきりとした男の声が聞こえて、千雪は振り返った。
自分を小林と呼ぶのは、京都の人間くらいだと思っていたので、いったい誰だとそこに立っている男を凝視した。
大柄な男と背は同じほどの少し痩せ気味の男が立ち止まって千雪を見ていた。
「渋谷さん?」
薄闇でも瘦せた方の男の顔はわかって千雪は聞き返した。
だが、小林、と言ったのは太い声でおそらく隣の男だ。
「やっぱり千雪くんか。って、山下さん、知り合い?」
渋谷は驚いた声で隣の男に聞き返した。
山下? 千雪も自問した。
もしや三田村が話していた、警視庁に研修に来ているという山下先輩なのかと。
「前に話した、高校の剣道部の後輩です」
高校時代より一回りガタイが大きくなった山下が渋谷に言った。
「千雪くん、剣道なんかやってたのか」
渋谷は違う意味で驚いている。
「ええ、引退するまで俺をいびってくれた山下先輩のお陰で、少しは図太くなりましたよ」
千雪が言うと、「これですからね。話した通り可愛げのない後輩でしたよ」と山下も応戦する。
「奇遇ですね、渋谷さん、まさか俺にまた何か?」
千雪は山下を無視して渋谷に尋ねた。
「いや、そうなんだが、そうでもなくて」
渋谷はわけのわからない言い方をした。
「何ですの? それ」
「いや、まさかと思いつつ、この公園で、犬の相手をしてくれたという人相風体を聞いて、まさかと思ってきてみたんだが」
「犬? って、ハスキー連れたおっさん、何かやらかしはったんですか?」
すぐに理解して、千雪は渋谷に聞き返す。
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