春立つ風に206

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 会社につくまで、森村は隣で、真面目に標識を口に出して読んでいた。
 鈴木さんと三人で弁当を食べてから、夜のロケの時間まで森村には一旦帰っていいと言ったのだが、面倒だからオフィスにいて漢字の勉強をしたいというので、好きにさせた。
 腹が減っていたので弁当を優先させたものの、慌てて食べ終えると良太は自分の部屋にあがった。
 恐る恐る鏡で確認すると、確かに辻の言うように微妙なところに跡がついている。
 これまで工藤がこんなところにつけたことはない、と思う。
 ひょっとして、俺が気づいていなかっただけ?
 いや……とにかく、どうしよう、これ………。
 パワスポの会議までになんとかしないと。
 絆創膏とかは却って目立つ気がした。
 焦って携帯で消し方をググってみたが、どれもこれも時間がかかりそうだ。
 仕方なく、新しいシャツに着替えて、極力きっちりボタンを留め、タイを結び直した。
 襟で隠れるものの、頭を動かしたりすれば角度によっては見えてしまう。
 なるべく首を動かさないようにする、なんて無理だよな。
 人の左横に立たないとか?
 ああでもないこうでもないと考えた挙句、「ああ、もう、どうでもいい!」と開き直る。
 もう、考えないようにして普通に動くしかない、か。
 気づかれたら気づかれたで、知ってる人は知ってるし、知らない人は知らないんだから。
 ああ、でも大山とかにみつかったりしようもんなら、また何か嫌味いわれそうだな。
 大山には近づかないようにしないと。
 オフィスに降りていくと、ちょうど森村が外から戻ってきた。
「良太さん、ちょっと」
 デスクに向おうとした良太は振り返った。
 森村に手を引かれてトイレに連れていかれた良太は、「何だよ、一体」と眉を寄せる。
「これで隠せるかもですよ」
 手に提げていたコンビニの袋から取り出したのは化粧品のようだ。
「気になってるんでしょ? ちょっとネクタイ取って、シャツボタン外してください」
 良太が、え、と思っているうちに、森村は「昔、バイト行く前に消してって、女の子にやらされた」と言いながら、良太の首に男性用のファンデーションを指で塗ってから、さらにペン型のコンシーラーを塗る。
「シャツに着いちゃうけど、しょうがないか」と呟いてから、「良太さんの恋人って…………」と続ける。
 途端に良太はかあっと頭に血が逆流する。
 だが、恋人って、の後を口にせず、森村は「これで……ボタンしてみてください」と言った。
 シャツのボタンを留めると見え隠れしていた跡が首を動かしてもわからない感じだ。
「……悪い……。それ、いくらだった?」
「いいですよ。いつか、俺も使うかも知れないし!」
 森村は断言するように言って拳を握るので、良太は思わず吹き出した。
「ちぇ、笑わないでくださいよ! 俺の決意の表れなんだから」
 そんなことを言いながら森村は先に出て行った。
 森村の、恋人って、の次の言葉が気になったが、会議の時刻が迫っていたため、良太は慌てて飛び出して行った。

 


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