月鏡38

back  next  top  Novels


 着信鳴り分けに設定しているワルキューレだ。
「はい、お疲れ様です」
「そっちはどうだ?」
 フランクフルトと京都という距離を感じさせないいつもの工藤だ。
「今のところ順調です。かなり冷え込んでますけど、晴れてますし、空気が澱みないのがいいです。もう撮影入ってるんですか?」
「ああ、今日からアウトバーンで撮影に入る」
 朝の六時半か、向こうは。
「いいですね~アウトバーン走るとか」
「次もあれば変わってやるぞ」
「いえ、結構です」
 またまた、冗談じゃないっす。
「森村とかってやつに会ったか?」
 なるほど、波多野さん工藤にはちゃんと話つけてたんだ。
「日比野監督に紹介してもらいました。超明るい元気マンで、いいやつですよ。檜山さんが、あいつ只者じゃないって見抜いてましたけど」
「檜山が?」
「ええ、檜山さん、合気道の段持ちだそうですよ。ほんと人は見かけによりません」
「千雪らは?」
「今朝、京助さんの車で送ってもらいました。今夜は皆で宴会だそうです」
「ほどほどにしとけよ。お前は酒強くないんだからな」
「仕事に差し支えるようなことはしませんて。工藤さんも、食べるのを忘れないでください」
「ああ、とにかく、妙な動きに気をつけろ」
 ブチッ。
 いつものごとくあっという間に切れている。
「あの人、普通電話の最後に一言っての、知らないらしいな」
 じゃあ、でも、それじゃまた、でも、何かあるだろ。
 まあ、どうやら良太のことを心配してかけてきたらしい。
 俺だって、ガキじゃないんだから、知らない人においそれとついて行くとかするかよっ!
 それでも工藤の声を頻繁に聞けるからいっか。
 大学教授役の橋本と三木原が、晴明とその謎に包まれた祖父役の三田園と対峙するシーンが始まった。
 屋内のシーンはまた別の場所でロケでやることになっている。
 今朝ほどちょうど霧が出ていたシーンは、それこそ本物の晴明が現れたかのようだったが、今は現代に生きる若者の晴明だ。
 ただ、その祖父は何やら清明の秘密を知っているらしい、という設定だ。
 知っている人間が演じているとはわかっていても、不可思議な空気がそこに生まれている。
 俳優ではないにせよ、檜山の演技は重厚で、良太は最初から初めて撮影に挑んでいるとは思えなかった。
 しかも、発声が普通の俳優とは違う言葉のようにも聞こえ、思わず見入ってしまう。
 三木原も舞台をやっているというだけあって、勘がいいというか、先を読んでいる動きがよくて、日比野も時々、いいね、を口にしている。
 降板した二村の、あの、のたのたした動きは何だったんだ、とついつい良太は思い出す。
 しかも自分が前に出たいために他の俳優の邪魔をするとか、あり得ない。
 工藤ができないやつは切る、という冷酷さで名を轟かせていたというが、あの手の俳優なら頷けないこともない。
 以前良太がファンだった女優を工藤がいきなり切ったことに、文句を言ったことがあったが、おそらくそれだけの理由があったのだ。
 工藤は好き嫌いや忖度で人を切るようなことはしない。
 それもこれまで工藤を見てきたからこそわかったことだ。
 撮影は思いのほか早く終わり、翌日回しのカットもついでに撮れたことで、日比野は上機嫌だった。

 


back  next  top  Novels