寒に入り32

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「あかんね……去年、知り合うた女の子にフラれたて話、あれ、ほんま、俺、話しとっても引いてもうて、女の子に愛想つかされて当然やってん」
 そう言えばそんな話もしていたっけと、良太は思い出した。
 豪快で陽気なイメージしかなかった八木沼にそこまで深刻なトラウマがあったとは、良太もちょっと途方に暮れた。
 チラッと腕時計を見ると、二時半になろうとしていた。
 何とか八木沼を宥めて帰ってもらわないと、スタジオに間に合わなくなる。
「やっぱり、素性の確かな人を紹介してもらうとかがいいんじゃないですか?」
 しかし八木沼は頭を振る。
「先輩とかに紹介してもろたことあったんやけど、あかんかった」
 これはトラウマというより、かなり重症な女性恐怖症?
「うーん、それだったら無理に誰かと付き合うとか考えないで、また飲みにでも行きませんか?」
 肩を落とした八木沼は、「おおきに」と苦笑した。
「佐々木さんに逢うた時は、天のお告げや思うたんやけどなあ」
 まだそんなことを呟きながらも八木沼は腰を上げてようやく部屋を出た。

 
 

 工藤は古巣の在京キー局であるMBCの会議室を出ると、足早に出口へと向かっていた。
 ここのところせかせかしなければやってられない程の忙しさではないものの、もうそれは癖のようになっている。
 すれ違う人間が工藤と認めた途端、ちょっと首を竦めたり、あからさまに、あ、の顔をして視線を逸らしたりは日常茶飯事、イチイチそんなことを気にも留めていない工藤だが、駐車場に向かうエレベーターの前で、「あら、高広じゃない」という声を聞いた途端、眉を顰めた。
「ちょうどランチ、行こうと思ってたのよ」
 工藤が局時代に三カ月付き合って振ってやったと豪語する今や大御所と呼ばれるようになった俳優の山内ひとみだ。
 付き合った後顔も合わせたくないような関係かと思いきや、工藤に物言いができる希少な悪友となって久しい。
 この女にだけは会いたくなかったという顔を隠そうともせず、工藤はエレベーターのボタンを押した。
「近くに渋い日本料理の店ができたんですって。だったら高広もいけるでしょ?」
 一緒に乗り合わせた局員が何人もいるところで、ひとみは聞いてくる。
 いいとも否とも工藤が言わないうちに腕を引かれてひとみの車に押し込まれた。
 こんなことも平気でできるのもひとみだからこそだ。
「あ、工藤さん、お久しぶりです」
 運転席にいたひとみのマネージャー須永がぺこりと頭を下げる。
「あそこ、新しくできた店、行って」
 ひとみが言うと、「ああ、『和食どころ日本海』ですね」と須永は答えてエンジンをかけた。
「芸のないネーミングだ」
 工藤はようやく口を開いた。
「わかりやすくていいじゃない。美味しいお魚が食べられるってすぐわかるし」
「ごまんとありそうな名前だ」
「そうねえ、和食処日本海って店、どっかにあったわねえ、どころが違うのよ、ひらがなだから」
 フン、と工藤はまた険しい表情になる。
 だが、こんな風に軽く工藤を誘うような女は今のところ業界にはいない。
 いや、年の功ってやつか。
 そんなことを口にしたらひとみは目を剥いて怒りそうだから、言わないでおくが。
「すっごおおい、このボリューム! 美味しそう!」
 ひとみが勝手に海鮮丼定食を三人前頼んでくれたので、工藤が普段は食べないような量の海鮮丼がドーンと目の前に置かれていた。

 


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