霞に月の115

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 ところがそんな感慨にふける暇はなかった。
「とぼけないでよ! 知ってるんだから!」
 声高に喚く女性の声が聞こえた。
 ロケ隊から少し離れたところだったが、大抵の者がそちらに目を向けた。
「じゃあ話は早いじゃない。とっとと別れてよ! 彼と」
 え? 何だよ、こんなとこで!
 良太は慌てて言葉だけではなく小競り合いを始めた二人の女性のところに歩み寄った。
「すみません、何かありましたか?」
 二人のうちの一人は、宇都宮のメイクアップを担当している木村という二十代の女性である。
 一人は会社帰りらしいOL風のスーツの女性だ。
 木村よりは上だろうか。
 二人は良太の顔を見ると黙り込んだが、険しい表情をしている。
 修羅場かよ?
 良太は後ろからついてきた森村と、その後ろに立っている宇都宮を振り返った。
 宇都宮は良太に女性の言う彼と疑われたと思ったのか、思わず首を横に振った。
「すみません、ロケの途中なもので、私的な口論とかここではちょっと困ります」
 二人が互いに睨み合っているのを止めるつもりで良太は強い口調で言った。
「だってここでうちの亭主にちょっかいかけたんでしょ、この女」
「家に帰ると小言ばっか言われるって彼言ってたわよ」
「冗談じゃないわ! 十年も私が食べさせてきたのよ、うだつの上がらないあの人を!」
「その上から目線で彼を見下してるんでしょ」
「わかった風な口を利かないでよ」
 途端、スーツの女性が木村を平手打ちしたと思いきや、木村が女性の肩をついた。
 雨は少し小降りになったが、二人とも濡れながらもみ合いを始めたので、良太は焦った。
「すみません、やめてください!」
 割って入ろうとした良太だが、かえって突き返されて、背後にいた宇都宮に、「おっと」と抱き留められた。
「いい加減にしろ!」
 怒号が響き渡ったのはその時だ。
「喧嘩ならよそでやれ! 撮影の邪魔だ!」
 二人の女性はどやしつけられて首を竦めた。
「佐野! とっとと出て来い!」
 工藤があたりを見回しながらまた怒鳴ると、「すみません」と頭を下げながら俳優陣の後ろの方から速足でやってきたのは、最初からずっとドラマに顔を出している売れっ子バイプレーヤーの一人、佐野正弘だった。
「ワイフと木村、連れて帰って話がまとまるまで来なくていい」
 工藤の最後の審判が冷ややかに響き渡った。
「はい、申し訳ありませんでした」
 佐野は深々と頭を下げると、二人の女性を促してすごすごと現場を去った。
「さあて、名判官のお裁きが下ったところで、撮影にはいるか」
 静まり返っていた現場は、坂口の冗談めいたセリフで活気を取り戻したようだ。
 佐野の離脱も坂口の機転で少しカットを変えることで、今日のところは何とかなりそうだった。
「すみません、宇都宮さんのメイク、お願いしていいですか?」
 良太はベテランのメイクアップアーティストの柿沼に、離脱した木村の代わりに宇都宮の担当を急遽依頼した。
「ったく、しょうがないですねえ、佐野さん、気のいい人なんですけど」
 ベテランだけあって佐野とも付き合いが長いらしい。

 


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