檜山匠のスケジュールに合わせると、今が一番いいだろうということで、その日、以前映画の撮影にも使わせてもらった檜山の家に撮影クルーが集まっていた。
ドキュメンタリーの後半第一弾に放映予定となっている檜山匠は、能のシテ方狩野流宗家の息子として生まれながら、次期宗家の座を巡って兄を押す継母やその一派と幼くして秀でた才能を遺憾なく発揮してきた匠を押す一派とでいざこざが絶えず、それに嫌気がさした匠は高校の時に実家と縁を切り、母方の祖父の養子となった。
もともと幽玄な演目を得意としてきた狩野流だが、匠が中学三年の時に初めて舞台で披露した『羽衣』はその幽玄美に重厚さを加えた表現で、観客のみならず能楽師らの度肝を抜いたほどのものだったという。
だが狩野流とも家族とも縁を切り、海外に留学して自由に羽ばたくことを選んだ匠は今現在、古典能の表現者としてでなく、創作能を演ずる新進能楽師として活躍している。
匠を取り上げた回の放映は、匠も出演している映画の封切りを待ってからとなっている。
映画のプロモーション映像がテレビやネットなどで流れると、一時匠の検索率はトップテンに躍り出るほど、その存在は多岐にわたって知られるようになった。
ただでさえ地味なドキュメンタリーの少しでも視聴率をあげるためにも、匠の登場が大いに影響力を持っていることは確かだ。
匠の撮影には二日間を予定している。
匠から手を抜きたくないという要望があったことで、ドキュメンタリーチームとしてもそれに応えるべく力が入っていた。
「お邪魔させてもらうで」
朝から撮影が始まったのだがあっという間に昼になり、休憩に入って弁当をチームに配り終え、良太がやっと肩の力を抜いたところだった。
聞きなれた声に振り返ると、千雪が立っていた。
「あ、千雪さん、お疲れ様です」
千雪から撮影を見学したいという申し出があったのは、今朝方のことだ。
「今度はほんまに能の話、書くことになってしもて」
匠も知った仲ではあるし、匠にそのことを話すと、全然OK、ということで、ちょうど腹が減ったと思ったら、千雪が現れたというわけだ。
「あの、よかったらお弁当、召し上がります?」
「ええの? ラッキー!」
今日は良太も好きな高級仕出し弁当だ。
「余分に用意してますから、ほんと、千雪さんって、美味しいものには鼻が利きますよね」
松花堂弁当を一つ箱の中から取り出して千雪に渡すと、「千雪、良太、こっち」と屋敷の屋内から匠が手招きした。
さすがに友人だからこそのリビングで、三人は早速弁当を広げた。
「撮影で何が楽しみって、やっぱ弁当だよね」
無邪気そうに匠が言った。
「まあねえ、難しい俳優陣には、下手なものを出すと文句が出る方いるからねえ」
良太は誰とは言わず、苦労した相手を思い浮かべながら言った。
「ほんまにうまいわ」
千雪も頷いた。
「こんなうまいもん食べれるんやったら、今度から撮影、ちょくちょく顔出さしてもらうわ」
「はあ」
今更ながらに呆れて良太は気が抜けた声を出す。
「工藤さん、今どこなん?」
話の流れをさり気に立ち切って、千雪が聞いた。
「沖縄です。奈々ちゃんのCM撮影で」
良太も極力動揺を隠して答えた。
工藤は四日前、良太が最悪のどん底な気分で目を覚ました日に沖縄に飛んだはずだ。
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