「歌詞とかなら覚えて歌ってたりするんだけど、日常会話とかになると、なんか違うみたいで」
「直ちゃん、何でも覚えるの早いから」
すると直子は小首を傾げて「そうかな。そういえば春日さんなんか、まるで息子を初めてお遣いにだすみたいに佐々木ちゃんのこと心配して、ある意味、先生よりずっと過保護なんだから」と笑う。
佐々木や直子が所属していたジャストエージェンシーの社長春日は、佐々木のために会社を作ったというほど佐々木を大切にしてきたが、二年ほど前、佐々木の飛躍のためにはと独立を促した。
でなければ今でも春日の保護のもとのらりくらりと仕事を続けていただろう佐々木は、そのお陰かどうか一気に仕事量が増え、さらに今、ニューヨークへ進出しようとしている。
そういう経緯を直子から聞いていた良太は、「確かに、いろんなことの繋がりでいろんなことが変わって行く気がするな」としみじみと言った。
「ただいま帰りましたあ!」
元気よく帰ってきた森村は直子を見て、「あ、こんにちは! どう? 英会話は」と早速聞きながら向かいに座った。
「ぼちぼちってとこ? 時々日本語とこんがらがっちゃったり」
「いんじゃない? わからなければ日本語で通せばいいんだよ」
「え、そう?」
「無理に考えだそうとかするとよけいこんがらがっちゃうよ」
「うん、わかった!」
鈴木さんが森村の前にお茶とシュークリームを置いた。
「みんな頑張って。お土産話、楽しみにしてるわ」
「はーい!」
直子は元気よく答えてお茶を飲む。
「さてっと、今月はイベントもあるし、早いとこいろいろ準備しとかないとなあ」
良太がぼそぼそと口にしながら立ち上がると自分のデスクに戻っていく。
「早いよねえ、もう今年もあとひと月切ったし、この分だとあっという間に四月とか来ちゃう」
「でもその前に、クリスマスもお正月もスキー合宿もあるよ」
「そうだよねえ、なんか気がせいてるみたい、あたし」
森村が言うのに、直子がフフフとほほ笑んだ。
その時良太の携帯がワルキューレを奏でた。
「はい、お疲れ様です」
「ヤギが今夜会えないかって言ってるがどうだ? 今後の打ち合わせをしておきたいらしい」
ディレクターの下柳は、普段のんびりしているようにみえて、仕事では手を抜かないので、こちらもなかなか忙しい。
「はい、大丈夫です。有楽町の『胡蝶』ですね、わかりました」
すぐにも携帯を切りそうな工藤に良太は慌てて続けた。
「そういえば、富田や小宮山の公判が始まるって、小田先生から連絡ありました」
「ああ、執行猶予がつくかもしれないが、いずれにせよ業界ではもう終わりだ」
工藤が面白くもなさそうに言った。
良太が携帯を切ると、「飲み会ですか?」と森村が聞く。
「ヤギさんとドキュメンタリーのこれからの打ち合わせも一応」
「ヤギさんって、面白い方ですよね。こないだ、番組作りの極意を教わりました」
「ええ? そんなの俺、教えてもらってないぞ」
「まあまあ」
「何がまあまあだよ」
「そろそろ戻るね。ごちそうさまでした」
直子が立ち上った。
あっという間に四月、か。
でもまたその先にはきっと、こんな何気ない日常が待ってるのかもな。
良太は直子を見送りながら、ぼんやりとそんなことを思った。
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