大学四年当時、野球三昧の大学生活を送り、卒業したら父親のちっぽけな整備会社を手伝いながら草野球チームでまた野球やろう、などと甘いことを考えていた矢先、お人よしの父親が連帯保証人になっていた友人がバックレたため、高額な債務を押し付けられ、いきなり土地家工場何もかも取られ、父母は夜逃げ同様に温泉街に移り住み、妹は一時親戚に身を寄せ、一人残った良太のアパートには怪しい債務者が押し掛けるという状況に、このさい、ヤのつく職業であろうと面接で踵を返すどころの騒ぎではなかった、というのが本音だが。
ある意味鈴木さんとは同類かも知れない怖いもの知らずで、鬼の工藤の怒号に怯むどころか、不遜にもくってかかったりしながら、そんなこんなで入社してもはや数年がたち、良太はすっかり業界に身を沈めていた。
ついでに、良太の肩書は、秘書、プロデューサー、などとなっているが、このオフィスでは肩書などそっちのけで何でも屋に徹しないと生きていけない。
「そろそろ起きませんか」
デスクを立って大テーブル横のソファで熟睡している要注意人物に良太は声をかけた。
「もうお昼ですってば」
優しく声をかけたくらいでは起きないと見た良太は、ちょっとその足を爪先でつつく。
「美味しい幕の内弁当が届きますよ!」
声を大にして良太が耳元で喚くと、ようやく要注意人物は伸びをして、むくりと起き上がり「お前、今、蹴ったやろ」とまだ目を閉じたまま文句を口にした。
「まさか、ちょっとつついただけですよ、千雪さん」
良太はしれっと答える。
「誤魔化しは俺には通用せえへんで」
最近、締め切りに追われ原稿に詰まると、担当編集から逃れるべく、なぜかこのオフィスにやってきてモバイルを叩いたり、今のように眠ったりと、鈴木さんと良太の間では、勝手し放題の要注意人物、小林千雪。
T大法学部助教でベストセラー推理作家の千雪は、青山プロダクションにとってもその作品を映画やドラマ化させてもらっている原作者で、例えこういった傍若無人の振る舞いにも目をつむるしかない存在なのだ。
「朝っぱらから人のオフィスに来てグーグー寝てる人がそのくらいで何をおっしゃるやら。いい加減目を覚まして下さい」
すると千雪はパチッと目を開けた。
起き抜けであろうとこの類稀な美貌の威力はすさまじい、と良太は改めて思う。
これがまた曲者で、推理作家、法学部助教というだけでなく、警視庁捜査一課に手を貸して難事件を解決に導いたりしたことから巷では相方の法医学者綾小路京助とともに名探偵コンビなどともてはやされただけでなく、相方の京助が超イケメンならば千雪はボサボサ頭に黒縁メガネ、あり得ない色のオジサンスウェットとその特異ないでたちが面白おかしく吹聴され、あれよという間に拡散した。
もとはといえば、稀有な美貌ゆえに、女の子だけでなくおかしな輩に付け回されて襲われそうになったりと、冗談ではすまない目にあってきたせいで、大学進学で上京したと同時にこのあり得ないコスプレを始めたのだが、お陰で今はすっかりそのいで立ちが定着し、千雪の素顔を知る者は近しい人間のみだ。
「よく眠れました?」
お茶を入れてキッチンからでてきた鈴木さんはまだぼんやりとしている千雪に優しく声をかけながら、千雪の前にお茶を置いた。
「おおきに」
そしてそんな風に千雪に微笑みでも向けられれば、いかにわがまま放題にされても大抵誰でも許してしまうのだ。
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