やれやれ、とそんな事情からご機嫌斜めな紀子には細心の注意を払わねばならない元気は嘆息し、それでも自意識過剰かもしれないがこの店が辺鄙な田舎町でよかったと思うのは、日がな一日こういう「客」に店を占領されなくて済むことだった。
確かに、東京にいた頃は元気の携帯には女の子の名前がわんさか入っていた。
まゆみとかさとことかあやなとかまりあとか、うーん、あと誰だっけなぁ。
世の男どもが聞いたら怒りまくりそうなことを頭の中で呟いた元気には、他に名前が浮かんでこない。
女の子が勝手に入れたものもあるから、はっきり言って名前と顔が合致しない子もたくさんいるわけで。
そんなうちの二人かも知れない、カウンターのOL女子はコーヒーゼリーを食べ終えると、これから金沢周りで東京に戻るんだ、とようやく立ち上がった。
ところが間が悪いことに、そんな時に頭を少しかがめるようにしてぬぼっと大柄な男がドアをくぐって入ってきた。
袖をまくったデニムシャツにジーンズ、それにショートブーツといつものいでたちに少し伸びた無精髭。
「あ、坂之上豪!」
OL女子のトーンの高い声に紀子も振り返る。
「ほんと豪さんだ~! そっかこないだのライブもいっぱい撮ったんだ?! カッコよかったよねぇ、元気!」
「元気の写真、見たい~! 前にもらったヤツ、宝物にしてるんだよ~」
うっわ……!
火に油を注ぐような彼女たちの言動に、元気はまたしても心の中で喚いてちょっと天を仰ぐ。
豪は二人に辛うじて頭を下げたものの、明らかに不機嫌そうなその表情に二人は、「じゃ。またくるねぇ、元気」と元気に手を振ってやっとのことで店を出て行った。
電話で喧嘩して以来互いに連絡もしないまま四日が過ぎ、多少ヤキモキはしていた元気だが、とりあえず顔を見て心の中ではほっとした。
仏頂面のまま肩にかけていたバッグを足元に置いてカウンター席に座った豪は唇をきっと結び、怒っている証拠にくっきりとした目をいつも以上にギロリとさせて元気を斜に睨みつけている。
それを見て見ぬふりをした元気は、黙って紀子の持ってきたオーダーのコーヒーに取り掛かった。
「……コーヒー」
ちょうど声をかけようかと思っていた元気より先に、ボソリと豪が言った。
図体はでかいくせに実は人見知りなところがあって、知らない人間の前では口数も少ないしむっつりしているから近寄りがたく寡黙に見えるのだが、親しい人間の前だと豪は喜怒哀楽がすぐ表に出る。
笑うと笑顔が異様に可愛いとそのギャップに女の子たちが騒いだものだ。
面白くない時むくれている顔はまるでおもちゃを買ってもらえない時の子どもだ。
今の豪がまさしくそれで、カウンターに肘をついて無暗に携帯をいじっている。
「今日はオフなんだろ? 次の仕事はいつからだ?」
豪の前に入れたてのコーヒーを置くと、元気はさりげなく尋ねた。
「俺が仕事に行ったら、また一平と約束でもするのかよ」
ざわっと元気の周りの空気が揺らいだ。
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