そんなお前が好きだった77

back  next  top  Novels


 元気のきつい言葉は井原の身に染みたが、響のお断りが、荒川のせいだと思いたかった。
 今度こそ、失敗はしない。
 第一、引っ越しにしても、要は響と二人で会いたいという単純な目的のためといっても過言ではなかった。
 それを言ったら、元気に鼻で笑われそうなので、口にはしなかったのだが。
 それに実家の自分の部屋は本で埋まるほどだし、独立しないで親のうちにいつまでも居候をするわけにはいかない、というのは、アメリカ生活で嫌というほど周りから言われて、井原もそれには同意だったからだ。
 この街もそうだが、田舎ほど、親の家に同居するのが当たり前のような風潮があるが、一人で十年を暮らしてきた井原からすると、依存家族のような気がして、誰の人生を生きているのかわからない。
 まあ、東のような仕事を選ぶのなら、手っ取り早く親にスポンサーになってもらうのが妥当かも知れないが。
 それができるのは東の家が裕福で恵まれているからでもある。
「あいつ、だから痩せられないんだ」
 気がいいメタボの絵描きを思い浮かべて井原は笑う。
 土曜日は東が家の軽トラを出してくれるというので、井原は持っていきたい本や衣類、パソコンやプリンターの類や天体望遠鏡など、必要なものは段ボールに入れて準備を整えた。
 この際なので、ベッドや寝具、冷蔵庫、洗濯機、テレビなど最低限の電気用品は届けてもらっているし、エアコンも取り付け済みだ。
 東にはリビングに飾る絵を頼んでいるが、間に合うかどうかわからないと言っていた。
 リビングに置くソファセットや書斎にする部屋の書棚やデスクが当日届くことになっていて、手伝ってくれる友人が数人いるのは有難い。
「元気が恋人を連れてくると言っていたが、女性に重いものを運ばせたりするわけにはいかないから、書棚に本を入れてもらうとか。あ、それに響さんも、指でもケガさせたら大変だし」
 そういえば響はピアニストならよほど神経をとがらせるだろう手指にも無頓着で、こっちが気にしてしまう。
「まあ、響さんは来てくれるだけでいいんだけど」
 響が来ないとなったら、もう何も手につかないところだった。
 ということはでかい家具を動かせるのは元気と東と俺か。
 それでも三人もいれば十分だろう。
「天気悪そうだよな。うちから荷物を運ぶのは早めにやらないとな」
 もうこの日に済ませないと、手伝いを頼んでいる皆のスケジュールもあるので、延期するわけにもいかない。
 何とか部屋に運び入れるまでは雨が降り出すのを待ってくれればいいのだが。
 明日は土曜という夜、窓から夜空を仰ぐと、雲に隠れがちな月がかすかに光を放っていた。
 
 

 
 引っ越し当日は朝から雲行きが怪しかった。
 キッチンに置いているテレビでは、太平洋側の沿岸を低気圧が急速に発達しながら進んでいて、各地で大荒れになると、天気予報士が難しい顔で説明している。
 響はのんびりとコーヒーにトーストの朝食を取っていたが、それを聞くと俄かに心配になった。
 瀬戸川たちが響のために起こしてくれたともいえるウエーブ事件は、結局瀬戸川たち自身で解決してくれたようなもので、瞼が熱くなるほど嬉しかった。
 実際荒川をものの見事にぎゃふんといわせた弁舌鮮やかな瀬戸川や青山には響も胸のすく思いがした。
 寛斗の口が巧いのには感心もした。
 だが、響の中では、井原に断りの電話を入れてからというもの顔も合わせていないから言葉も交わしていないことの方が重要で、このまま本当に井原と疎遠になってしまったらと思うと息さえ止まりそうなくらいで、レッスンを見ていても思考が上の空になりがちになり、ため息の数が尋常ではなく、にゃー助までが心配そう顔で響を見上げている気がした。
 だから、井原のラインが届いた時は、響は心底胸を撫でおろした。

 


back  next  top  Novels

にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説へ
にほんブログ村
いつもありがとうございます