好きだから37

back  next  top  Novels


「うーん、ごめん。何かあったってわけじゃないんだけど、やっぱ心配なのよ、何か胸騒ぎがして」
「直ちゃん、ちょっと心配し過ぎかもだよ。リラックスして」
 良太のほやんとした声に、深呼吸した直子は少し緊張を解いた。
 携帯を切って歩き出した直子は暮れていく空に目をやった。
 夕方になって気温が下がったオフィス街は帰宅を急ぐ人々が行き交い、すっきりと雲一つない深い紺色の空を背景に煌煌とした満月がビルの間から顔を出していた。
 
 
  
 

 
 藍屋は新宿通りから二本ほど入った通り沿いにあるオフィスビルの一階にある居酒屋だ。
 この辺りはマンションが多く立ち並び、夜ともなると人通りも少ない静かな佇まいである。
 全国から集めた日本酒が置いてあり、メニューもしっかりした洋風でどちらかというと大人設定の店だから、騒いでいる学生などは見当たらない。
 テーブルもパーテーションで区切られており、居酒屋といっても落ち着いて飲むには居心地がいい。
「んじゃ、ま、再会を祝して!」
 生ビールのジョッキを合わせると、稔は豪快に半分ほどを飲み干した。
 ポカリなどのペットボトルがジョッキに代わっただけで、余りにも昔と変わらない稔の印象に、佐々木は思わず笑った。
「何だよ」
「いや、稔さん、ほんま、ガキ大将のまんま、や思て」
「おいおい、これでも世界中のヤバいとこあちこち渡り歩いて、生きるか死ぬかみてぇな感染症にかかったりよ、それなりに艱難辛苦をなめたりしてきたんだぜ?」
 そう豪語した稔は、きたきた、とイベリコ豚のローストポークから海鮮サラダからサーモンのカルパッチョからたったか二つの皿に分けると、ガツガツと平らげる。
「それはわかるけどな~」
「お前こそ、個人オフィス持つほどになったってのに、見た目はあんましかわらねーじゃねーか。ほんとに結婚なんかしとったのか?」
「や、俺、年明けの一月でもう三十四やから、稔さんこそ、何で奥さんに逃げられたん?」
 そこでビールを飲み干した稔は、スタッフを呼んでボトルワインを頼む。
「お前、逃げられたの前提かよ」
「あれ、違ごた?」
「まあ、間違いじゃねぇがな。自分の子供が熱を出してるのに、あんたはどっかの国のわけわからない未開の地に行くのかって、ワイフに責められて」
「確か奥さんもお医者さんやなかった?」
「ああ、学生ン時知り合って、ええとこのお嬢でな。ま、たまに息子と合わせてくれるだけマシ?」
 佐々木は苦笑した。
「医院の方は、お姉さんが継ぐんかと思うてたけど」
「皐月? あいつ、急にへき地医療に目覚めてな、ちょうど俺が帰国したのをいいことに、とっととどっか南の島へ行っちまって」
「はあ」
 なるほどと、佐々木はあまり顔はよくは覚えていないが、ただ姉弟ともにやることが豪快で、はっきりした性格だったと子供心に感じていたその面影を頭に思い描く。

 


back  next  top  Novels

にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説へ
にほんブログ村
いつもありがとうございます