夏が来る10

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「サマータイムじゃないのかよ」
 かろうじて声には出さなかったものの、井原はステージに集中した。
 やがて元気のギターから重いしかし軽やかな指使いで流れてくるのはヴィヴァルディの四季からの『夏』だ。
 アレグロから始まって思わず二人の演奏に息をのんだ観客はアダージョに入っても動きを止めてじっと耳を傾けている。
 プレストに入ると誰もがただ二人の息の合った演奏に魅入られるように二人から目を離せない。
 紀子は思わず両拳を握りしめ、演奏が終わると、しばらくの沈黙ののち、総立ちした観客の歓声に負けじと、大声で「ブラボー!」を繰り返した。
 その歓声の中、井原は響が座るピアノの前に素早くスコアを置いて、速やかにステージの真ん中に置いてあるマイクスタンドの前に立つと、やがて観客も静かになった。
 スコアを見た響はちょっと小首を傾げた。
「元気」
 マイクを通して井原の声が響き渡り、元気が顔を上げると、井原が元気の耳元に近づいて囁いた。
「覚悟しろよ」
 訝し気に井原を見た元気はまだその時気づいていなかった。
 その曲はボーカルから始まった。
「声を上げろ!」
 井原がシャウトした。
 途端響のピアノが先にメロディを奏でた。
 一瞬、井原を睨んで「やりやがったな」と言った元気だが、もはや始まってしまったものは後戻りできない。
 元気が人気ロックバンド『GENKI』とは一線を画し、自分の曲でありながら年末のライブでも極力『GENKI』の曲を演奏しようとしないのを知っていながら、元気と響が勝手に曲目を変えたのに対して井原が仕掛けてきたらしい。
 『声を上げろ』はまだメジャーになる前の『GENKI』の曲で、メジャーデビューして改めて売り出した途端大ヒットを記したから、若者なら大抵は知っているだろう。
 ただしよく耳にするのは前の事務所の意向でボーカル主体になっているのだが、特に古い『GENKI』のファンは、最近のステージではアンコールで謎のギタリストが現れて華麗なテクニックで演奏するオリジナルに近い『声を上げろ』に心酔している。
 元気の重いギターが会場に響き渡る。
「うおー! GENKIだ!」
 すぐに反応して立ち上がったのは寛斗だ。
 続いて紀子や一年生らも立ち上がると生徒たちみんなが立ち上がった。
 元気のギターに呼応するように井原が濁りのない声で歌い上げる。
 少しハスキーで太い声の『GENKI』のボーカル一平とは違って、井原の伸びのある声量のボーカルはまた元気のギターとも響のピアノとも共鳴し、いきなりのセッションにもかかわらずまるで昔からずっと一緒にやっているかのように息の合った楽曲を繰り広げた。
 曲が終わっても興奮冷めやらぬ歓声や拍手が鳴りやまない。
 井原はマイクをスタンドに戻す時、観客の後ろに目をやって、おや、という顔をしたがそのままステージを降りた。
 元気がギターを持ってステージから降り、響もステージを降りると、最初にチラッと挨拶しただけの音楽部長の志田がマイクの前に立った。
「素晴らしい演奏、先輩方にもう一度拍手をお願いします」
 盛大な拍手が巻き起こると、「ありがとうございました。では、ここから今日のメインイベントです」と志田が声を張り上げる。

 


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