夏が来る9

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 響が高三の九月のことだ。
 確かにあれならいけるかもと、響が志田が作ったプログラムを井原から渡されて見ると、とっくにOBセッションとして演目に加えられていた。
 土曜日を臨時休業して三原家に出張営業することになった元気だが、井原が有名パティスリーのケーキを差し入れすると言えば、ボランティアに路線変更するしかなく、手伝いを頼んでいるアルバイトの紀子には自腹を切ることにした。
「え、いいよ、元気の生ギターが聞けるんだし、私もボランティアで」
 紀子が言うと、「俺も、昨日チョコレートとか買ってきたんで差し入れ」と豪がチョコレートの入った紙袋を志田に渡した。
「わあ、ベルギーチョコレート! ありがとうございます!」
 有名ブランドのチョコレートより、志田は生の豪に会えたことに感激していた。
「お前、そんな、人気あるわけ?」
 井原が思わず豪に聞く。
「坂之上豪といえば、全国的に知られた有名カメラマンなんですよ!」
 志田が代わりに説明をする。
「皆さんの演奏のショット、撮りますから」
「わ、すっご!」
 豪の言葉に有頂天になる志田を、「感激するのは設置が終わってからにしよっか」と瀬戸川が窘める。
 かくして午後一時半の開演時間三十分前には、まさしくコンサートにやってきたかのようにめかし込んだ保護者たちで、リビングは一気に人口密度が増した。
 保護者の中には、街でも有数の名家に足を踏み入れることに大いに興味津々な人々も多数いた。
 この日のために練習をしていたという一年生の五人は、ピアノの青山を中心に、三輪田のサックスで、トルコ行進曲から始まり、池田のクラリネットが加わったオーバーザレインボー、川口のチェロとはパッフェルベルのカノンと、簡単なさわりではあれ保護者達を感涙させた。
 寛斗のピアノに代わって、バイオリンの志田とフルートの榎がブラームスのハンガリー舞曲第五番を演奏すれば、志田がパガニーニのカプリース二十四番で観客を沸かせた。
 ここで小休憩が入り、井原がケーキやチョコレートを配ると、元気と紀子がコーヒーや紅茶を振る舞った。
 その間に瀬戸川、寛斗、志田、榎がコンクールで第三位に入った四重奏のためにスタンバっていた。
 ビゼーの歌劇『カルメン』の前奏曲が始まると、寛斗の両親は二人とも感極まって目頭を拭い、ハンカチを目に当てていた。
 大いに盛り上がったところで、ピアノに響がスタンバイした。
 音楽部の生徒の保護者の間では、響のプロフィールは既によく知られており、ずっと海外で活躍し、以前ロンティボーで優勝経験もあり、母校とはいえなぜこんな田舎の高校の講師をしているのか今一つ理解に苦しむくらいのピアノストだというので、彼らは一度は聞かなくてはと身構えていた。
 やがて一息あって響の指がショパンを奏で始めると、観客は息をのんでピアノの音に聞き入った。
 圧巻の『英雄ポロネーズ』に、「カーネギーホールかと思った!」などというジョークも聞こえてくる。
 アンコールの声があがったが、やがて響がまた座り直すと、先ほど井原が準備していたアンプの前に、ストラトキャスターを手にした元気が登場した。
 俄かにざわめいた観客が静まり返ると、響が元気に合図し、ピアノが音を奏で始めた。
 そこで、えっという顔をしたのは観客の後ろに立っていた井原だ。

 


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