花のふる日は53

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 確か春先に一度、倉永さんに家に来てもらったはずだ。
 大抵、家中の窓を開けて布団を干したり、掃除をしたりしてくれている。
 鍵を預かってくれている研究室の島崎と倉永さんはもう十年来の顔見知りで、最近ではどうやら飲み友達になっているらしい。
 島崎たちや倉永さんが訪れることもあるし、電気と水道は止めていないのはいつ帰ってもいいようにと思っているからだが、随分無沙汰をしてしまったものだ。
 ほどなく玄関のチャイムが鳴った。
 支払いを済ませ、うな重とひつまぶし、それにう巻き卵をリビングのテーブルに持っていくと、腕組みをして目を閉じていた京助が、ポケットから札入れを出した。
「土産もろたし、ええよ」
「悪いな」
 そんな言葉を口にする京助は、千雪にも記憶がない。
「熱燗でも飲めば、風邪なんかすぐ治る。お前は食わないのか?」
「俺はさっき弁当食うたし。卵ちょっともらうわ」
 キッチンの戸棚から徳利を探し出して、千雪は京助の持ってきた吟醸酒をレンジで温める。
 まだ新しいIHのクッキングヒーターがついたシステムキッチンは、千雪が東京に出たあと取り替えたものだ。
 父親がひとりで使うのを倉永さんが心配したからだ。
 こんなに早く逝ってしまうとは思っていなかったから、そういえば親子で酒を酌み交わしたのも数えるほどだと、千雪は思い馳せる。
 今更だとは思うのだが。
「まあ、飲め」
 大き目のぐい飲み二つに並々と酒を注ぐと、京助はすぐに飲み干してまた酒を注ぐ。
 ぐい飲みに口をつけながら、千雪はふと、こんな風に自分の家で京助と差し向かいで酒を酌み交わしているこの状況が不思議な気がした。
 京助と二人でいる時は大抵、こんな穏やかな気持ちでいたのだということをあらためて思う。
 別れたら、こんな穏やかな時間を手放すことになるのだ。
 友達ではダメなのだろうか。
 こんな風に酒を酌み交わすことさえないということか。
 カタ、と京助が箸を置いた。
 器にはまだ三分の一ほど残っている。
 いつもならこの程度はペロリと平らげてしまうはずだ。
「もう、ええんか?」
「ここんとここき使われてたからな、胃もガタがきたらしい」
 ソファに凭れかかり、京助は一つ大きく息を吐いた。
「ヤクの売人、バットで殴り殺したってクソオヤジ、お前の小説のマニアだったって? しかし捜査一課ともあろうものが、人相だけでお前を疑うか? あの、ボンクラども」
 思い出したように、事件のことをボロクソに言う京助に、千雪はあの時かなり頭にきていて、渋谷にひどくあたってしまったことを思い出した。
「しかも、クソオヤジの次は所轄のデカだってじゃねぇか。フン、しかも渋谷の同期だったって? まあやつもきつかったかも知れんが、最近不祥事ばっかだから警察の上の連中はなるべく危うきには近寄らず、臭いものには蓋ってなもんで、あわよくばお前が犯人ってとこで落ち着いてくれるに越したことはなかったってわけだ」
 京助はそう言って酒を飲み干した。

 


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