花のふる日は56

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 階段を上がろうとした時、何か声が聞こえて、千雪は襖を開けた。
「京助?」
 部屋を覗くと、廊下の明かりが差し込んで、苦しげな京助の顔が見えた。
「京助? うなされとったで。大丈夫か?」
 膝をついて京助を覗き込むと、京助が目を開けた。
「……ああ、気色の悪い夢を見てた……」
「やっぱ、これからでも医者行くか?」
「一晩寝れば治るさ……」
「ほんまか……?」
 疑いの眼差しを向ける千雪に、京助は笑みを浮かべた。
「ああ……だが……」
 ひょいと京助の腕が伸びて千雪の腕を掴む。
「寒いからお前、ここに来い」
 京助は掛け布団を捲り上げて言った。
「いやや! 風邪が移る」
「俺を見殺しにする気か?」
「殺しても死なへんくせに」
「つれねぇな……」
 少しばかり寂しげな京助の言葉に気を許した千雪を、京助は中に引っ張り込んだ。
「こら…京助!」
「……あったかい……」
 千雪を抱きしめたまま、京助が呟く。
 もう、そういうつき合いはやめるて、言うたはずやで!
 家に泊めるつもりもなかったんやし!
 心の中で喚いてみたものの、それを言葉にすることは今はできなかった。
 ぬくもりに千雪の心も癒される思いがした。
 明日の朝までや。
 ちょっとだけや………
 
   
 
 
 襖が閉まる音で、千雪は目を覚ました。
 京助の横で猫のように丸くなって、すっかり熟睡してしまったらしい。
「京助、どないした?」
 入ってきた影に気づき、千雪はがばっと身体を起こした。
「便所。熱は下がったみたいだが、汗だく。シャワー、浴びるか」
 京助は布団の上に胡坐をかいて言った。
「アホか! いい気になってるとまた熱ぶり返すで。着替え持ってくるし」
「汗、拭きたいからタオル貸して」
「わかった。熱い湯で絞ってくるわ」
 千雪は立ち上がった。
「厄介かけるな」
 またしてもらしくもない京助の台詞をあとに廊下に出ると、もう明け方のようだ。
 雨の音がまだ聞こえている。
 父親の部屋の箪笥から、もう一枚の浴衣とタオルを二枚取り出し、洗面所に行ってタオルを湯で絞る。
 そういえば、つい読書に夢中になったり、原稿を一気に仕上げたりで、知らないうちに風邪を引き、熱を出して千雪が寝込んでいると、大抵いつの間にか京助がやってきて、粥を作ってくれたり、ポカリを飲ませてくれたり、熱が引いて動けるようになるまでかいがいしく世話を焼いてくれた。
 思い起こせばこの何年か、食事から何から、なんだかだと千雪は京助にやってもらってばかりで、京助のために何かしてやったというのは数えるほどしかないのだ。
 そう考えると、何故京助が自分と一緒にいるのかわからなくなる。
「俺なんて、ほんま、何も取り得ないやん」
 京助にとって、何のメリットもないのに、何で俺なん?
 千雪はフウとひとつ息をして、和室の襖を開けた。
「おう、悪いな」
 着ていた浴衣を脱いで、京助が言った。
「背中、拭いたろか?」
 一瞬、間があった。
「それはまた珍しいことを。どういう風の吹き回しだ? 千雪ちゃん」
「ふざけるなら自分で拭け!」
 千雪はタオルを放り投げる。

 


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