まだ何か言い忘れたのだろうかとパワーウインドウを下げる。
「なんか、まだありました?」
良太は傍に立った工藤を見上げた。
すると工藤はやおら良太の胸元を掴み、ぐいと引き寄せてぽけっと半開きの唇を塞いだ。
え、何?一
頭は真っ白、思考は停止、良太には気が遠くなるほどの時間に思われた。
約一分程で、工藤は良太を離し、
「また連絡を入れる」
と言い残し、スーツケースを引いて去って行った。
呆然自失の態でしばらく動くこともできずにいたが、良太はようやく我に返ってパワーウインドウを閉める。
と同時に頭のてっぺんからかーっと一気に熱が上がる。
「だから何だよっ! あれはっ!」
こんな公共の場で何すんだよっ!
こんな時だけガイジンみたくなるんじゃねーっての。
まあ、人がいても遠いし、夜だし、暗いし……。
ってか、あんなエロいキス、すんじゃねーーっ!
「どうしてくれんだよ、俺!」
良太は再び喚いたが、しばらくしてようやくのろのろとエンジンをかけた。
たまっていた書類の作成を一気に終えた良太は、画面の時刻を見て手を止めた。
「鈴木さん、もう十二時ですよ。お昼、どうします?」
鈴木さんも、あら、と我に返ったようにパソコンから顔を上げた。
昨日は鼻炎の薬を飲み忘れて、一日中体調が悪く仕事がはかどらなかったらしい鈴木さんは、今日の午前中良太に同調したように言葉もなくひたすらキーボードを叩いていた。
「今日はお昼持ってこなかったから、何か買ってくるわ」
「だったら、俺、ちょっと気分転換したいし買ってきましょうか、お弁当、何がいいです?」
「じゃあ、『マルネコ弁当』さんの今日のおススメランチ、お願いしよっかな」
「あ、いいっすね、安いのに量多いし美味いし」
暖かい午後だった。
少し先にある小学校や中学校には初々しい新入生たちの声が響くし、通りを歩く中にもどこぞの新入社員だろう顔が笑っている。
そんなシーンに触れる四月は良太も少しばかり気分が高揚する。
一年ほど前に一つ通りを入ったマンションの一階にできた弁当屋は四十代の夫婦がやっている。
すっかり馴染みになった鈴木さんがそこの奥さんから聞いた話だと、ご主人は脱サラで、どこか大きな会社の役付きだったという。
だが誰に対しても腰が低くにこやかで、愛猫をモデルにした看板やマルネコという屋号が評判を呼び、SNSで拡散してわざわざ遠くからやってくる客もいるらしい。
なんだかあの夫婦を見ていると、良太は自分の両親に雰囲気が重なる気がした。
人のいい父親に寄り添うこれまた気のいい母親は、何をしていても楽しそうに生きている。
どちらかというと良太も状況に応じて馴染んでしまう方だから、家族で唯一しっかり者の妹亜弓が時々みんなに喝を入れてくれるので何とかなっているのかもしれない。
久しぶりに母親に連絡を入れてみるかなどと思いながら、良太は弁当を買って会社へと戻り始めた。
「おう、良太ちゃん、お邪魔してるよ」
会社のドアを開けると、窓際のソファにいた男が手を挙げた。
「ヤギさん、早かったんですね」
「なんかちょっと考え事してたらよ、うっかり早く出ちまって」
「でも弁当、ヤギさんの分ありませんよ」
良太は奥のテーブルに弁当の袋を置いた。
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