工藤はグラスの酒を空けるとお代わりを注文した。
「じゃあ、お前としては、それでいいのか? 良太をアメリカにもってかれちまっても」
「いいも何も、人間、ここぞっていう時が誰しもあるもんだろう。良太にとっては今がその時だ」
「……なるほど、人生の先輩としては、自ら引導を渡してやろうというわけだ」
下柳は二十年来の悪友を改めて見やる。
心なしかやつれた感がある工藤の、明らかに酒の量は常より多い。
辛いくせに……バカが……
「……手放した魚はでかかったなんて、後で後悔するなよ」
「…するか!」
俺がうらぶれて野垂れ死のうが、良太には何の関係もないことだ。
俺なんかにつきあっていたら、ろくな目に合わない。
業界のこともかなり見えるようになってきたくせに、向こう見ずなのだけは、直りゃしない。
良太…………
いつかは手放さなけりゃならないと思ってた。
そいつがちょっと早くきただけだ。
「……嫌な動きがたまにある」
知らず工藤は口にした。
「ん? 何だって?」
怪訝そうな顔で、下柳が工藤を見た。
「いや………モーツァルトのところに『レクイエム』を依頼してきたのは実は死神だった…って話…」
「ああ? モーツァルト? んなものを俺にレクチャーしようたって、右の耳から左だぜ」
「フン………」
近い将来、死神の使いが門を叩く。
ないとはいえない話だ。
いや、早いところ俺がくたばった方が、世のため人のためってやつか。
俺は恐いんだ、良太。
俺のそばにいて万が一巻き添えを食らったら………。
向こうで、今までやれなかった分、存分に野球でも何でもするがいい。
「俺の傍にいちゃ、野球もろくにできないからな」
「…工藤」
工藤は立ち上がると、下柳の肩をポンと一つ叩いて、少しばかり足をふらつかせながらバーを出て行った。
「あんのやろう、何が野球もろくにできない、だ。未練たらたらのくせに、背中が物申してるぞ」
独り言にしては大きな声に、バーテンダーが思わず顔を上げた。
その日、良太は朝から体がだるかった。
仕事の途中で熱が上がり、立ち上がるとふらついた。
「もう仕事はやめて、部屋に戻って休んだ方がいいわよ」
鈴木さんが見かねて言った。
「社長は俺が待ってるからいいよ」
「ちょっと、風邪ひどいんでしょ? もうあがったら?」
秋山やアスカまで心配してそんなことを言う。
「じゃあ、ここまでやったら、すみません、工藤さんにそう伝えておいてもらえますか」
良太は力なくそこにいた面々に頼んだ。
やがてオフィスに戻ってき工藤は、秋山から良太が寝込んだという話を聞くと、ひどく心配になり、エレベーターに乗って社長室で降りるつもりが、最上階にあがってしまった。
良太の容態が気になる。
ドアを叩こうかどうしようか逡巡しながら、しばし工藤は良太の部屋の前で立ち尽くしていたが、やはり気になって工藤はノックした。
初め、返事はなかったが、二度目叩くと返事があった。
「俺だ。大丈夫か?」
部屋の中で良太は工藤だと知り、また熱がどっと上がった気がした。
「大丈夫です。すみません、仕事が終わってないのに」
「……いいから、ゆっくり休め」
ふうっと大きく息をつくと、工藤は良太の部屋に背を向けた。
後ろ髪を引かれる思いで、自分の部屋に入る。
とりあえず、もし良太が呼んだら駆けつけるくらいはできるように。
コートを脱ぐのもおっくうで、コップ一杯の水を飲み干すと、少し頭も冷えたようだ。
エアコンだけ入れて、工藤はベッドにも行かず、壁にもたれて、そのままリビングの床に腰を降ろす。
かなりハイピッチで飲んだせいか、結構酔いがまわっているらしい。
やっぱり、可愛いのだ、良太が。
ドアを二つばかり開けば、手が届くところにいるのに、それもできない。
それだけのことで、こんなにきついとは思わなかった。
可愛いなら、手放してやれ。
工藤は自分で自分に言い聞かせる。
「良太……」
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