ACT 5
見合いの件と優作の独立宣言以来、将清との間が不穏な状況になったかというと、そんなこともなかった。
翌日にはいつものように将清が昼を誘いに来た。
「よう、昼、どこにいく?」
優作は少し面食らったものの、努めていつもと変わりない顔を繕った。
「丸やの定食」
「じゃあ、俺、出先から直接行ってるからな」
ついでに周りの女の子たちにも眩しい笑顔を振り撒いて、猛暑続きというのにスーツも爽やかそうに将清はエレベーターの入り口で手を振った。
いつもと変わりない顔で一緒に昼を食べた。
ただそのうち、これまでは部署が違うにもかかわらず二人はよく顔を合わせていた筈なのに、すれ違うことが多くなった。
九月の終わりのある夕方、うるさい美術評論家からやっと原稿を預かって帰った優作は、受け付けの女の子にいきなり呼び止められた。
「江川さんって毛利さんと仲がいいんですよね?」
「まあ、大学が一緒だから」
何でこんな言い訳をするんだろう。
そう思いながら、女の子の次の言葉を待つ。
「毛利さん、社長のお嬢さんと結婚を前提に付き合ってるって、ほんとなんですか?」
不意に、足元が不如意になる。
「知ってるんだったら教えてください」
「い…や…俺は何も」
知らない。
そういう話がいつ、将清の口から聞かされてもおかしくないと、そう思っていた筈だった。
「そうですか。でもありえますよね、毛利さんって、すごい旧家の生まれで、社長とも昔から知り合いだったみたいだし」
そんな詳しいことは、何も知らない。
おばあさんが製薬会社の社長、その程度だ。
考えてみれば、将清のことをほんの一部しか知らないのだ。
おばあさんの家に遊びにいったこともある。
大きな家で、ちょうど海外赴任の将清の家族が休暇で帰国してその家に滞在していた。
おばあさんはニコニコしていて、随分のんびりした商社マンだという父親、優しい母親としっかりした兄夫婦、それにニューヨークで医師を目指しているという弟もみんなが大らかな家族だった。
大学でのことなど聞かれたが、家族がどうのとかは聞かれなかった。
代わりに将清が、夏休みに優作の家に泊めてもらったが、お姉さんが二人いて両親もみんな優作を猫かわいがりしているというようなことを話して聞かせた。
それだけだ。
大きな犬がいて、猫もいて、小鳥もいて。
それだけだ。
中学まではアメフトをやっていて、ニューヨークにいた、それだけだ。
バイクで一緒にツーリングして、それだけ。
どんなすごい旧家なのかも、会社の社長とどういう付き合いなのかも、その娘とどう付き合っているのかも、優作は何も知らない。
たまたま大学が一緒で、常にセットのように扱われて一緒に過ごすことが多くてゼミが一緒で、たまたま会社が一緒で、それだけだ。
俺は何も、大学以外での将清のことを知らなかったんだ。
優作はその翌日、何となく東京にいるのが嫌になり、取材でちょうど関西に出張するのに乗じて、仕事を早めに済ませて戻りを金曜に延ばしたいと編集部に連絡をいれ、名古屋で新幹線を降りると在来線に乗り換えた。
back next top Novels
にほんブログ村
いつもありがとうございます