しかし、浩一の中ではそれは相容れないことだった。
まさかと思い、心の中で懸命に否定していた。
ところが、河崎の口からはっきりとその事実を告げられ、浩一の心の内に怒りがこみ上げた。
「あなたは一体何を言っているんです? 浩輔は男ですよ?」
「それでも、浩輔は私にとっては唯一無二の存在です」
「バカげている! そんな理不尽なことを納得できるわけがない。冗談じゃない!」
浩一は拳を握り締めて怒鳴りつけた。
「パワハラだ! こんな豪勢な部屋を与えて、金の力で浩輔を惑わしたのか! 今は病人だから仕方がないが、よくなったら、浩輔を説得して私の元に引き取ります! あなたを訴えることもやぶさかではない!」
河崎は自分を睨みつける浩一の目を真っ向から受け止めた。
「浩輔が………権威や力や金で動くような人間でないことは、あなたもよくご存知のはずだ」
浩一は怒りで身を震わせながらも、すぐに切り返すことはできなかった。
「失礼する」
踵を返すと、浩一は部屋を出てマンションをあとにした。
絶対にあの男から浩輔を奪い返してやる!
地下鉄に乗り目黒に出て山手線に乗り換え、五反田で池上線に乗り換えてしばらくたつまで、浩一の怒りがおさまらなかった。
電車の窓から外を見やると辺りは陽が落ち、一面に灯りが広がっている。
ようやく少し沸騰した頭の熱が下がったのか、怒りの原因が必ずしも河崎にないのだということは、理論的に考えてみればわかることだった。
理不尽なと口にした自分の言い分の方が、むしろ理不尽だった。
だが理屈ではわかっていても、感情はそうはいかない。
「ただいま」
玄関を開けると、小学生になったばかりの娘が、「パパ、お帰りなさい」と愛犬のルンと一緒に駆け寄ってきた。
「今日は早かったのね」
リビングに顔を出すと、続きのキッチンで夕餉の支度をしている妻の聡美が笑顔をみせた。
近い将来準教授の椅子も夢ではない状況にいるが、思い切って戸建てを買ったのは二年前、暮らしは決して楽ではない。
音大出の聡美が家でピアノを教えながら、生活を支えている。
それでも大切な家族、狭いながらも大切な城だ。
金沢の実家を継ぐことも考えないではなかったが、何か継承する商売をやっているわけでもなく、ただ、市議をしていた厳格な父親と優しい母親を二人きりにさせていることが気がかりなだけだ。
そこのところは近くに嫁いだ妹の典子任せという感じだが、父親も浩一がこちらに居を構えることを反対もしなかった。
祖母に可愛がられていた浩輔に対しては、母親は無論、浩一も典子も厳格な父親でさえ甘いところがあった。
ふわふわした印象の浩輔だが、祖母の影響か、悪いことは悪いと、相手が誰であろうとはっきりものを言うようなところがあった。
誰に対しても優しい性格で、昔からお絵描きは得意分野で美術部にも所属していた浩輔だが、進学したのは経済学部だった。
誰に言われたわけではないが、「才能とか自分でよくわかってるしね」と自分で決めたことだった。
それが縁戚のつてもあって浩輔が英報堂に内定した時は、誰もが喜んだ。
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