「客に何か言われたのか?」
浩一はちょっと眉を顰めた。
「いや、まあ、藤堂さんに言わせれば、その担当がおかしいんだって………仕事はさ、一つ一つがやりがいっていうか、新しい発見っていうか、そんな感じ」
「そうか」
浩一はそのあとの言葉が続かなかった。
あれからいろいろ考えたが、時間が経つにつれて怒りは鎮まりかけたものの、やはり浩一としては納得できるものではない。
「俺を説得して、手元に引き取るって言ってくれたんだって? 河崎さんが言ってた」
逡巡している浩一に浩輔はさらりと切り込んだ。
「俺から話すべきだったんだよね。相手が河崎さん、って一般的な付き合いじゃないから、ごめんね、理解できないかもしれないけど、それにきっとお父さんに話したら、また勘当って言われるんだろうね」
「浩輔」
あまりにあっさりと簡単に説明しながらも寂しそうな浩輔の微笑みに、浩一は何も言えなかった。
「でも、心配しなくていいからね」
ふんわりと笑う浩輔の言葉から、その頼りない雰囲気にもかかわらず、自分の視点で意見などしたところで跳ね返されるだけなのだと浩一は改めて思う。
「ギャラリーの確か河崎のお姉さんとかいった、あのオーナーは知っているのか」
浩輔は頷いた。
「美保子さんも、よくしてくれてる。河崎さんって、ちょっと複雑な家族だけど、美保子さんは河崎さんの一番の理解者みたい」
「そうか。………感情的には受け入れがたいんだ。だが、お前が決めた人生を見守ることにしよう」
それがようやく浩一の出した答えだった。
「ありがとう」
本当に嬉しそうに浩輔が笑う。
「忘れるなよ、俺はお前の兄だ。今までどおり、これからも」
浩輔は、また連絡すると言って、大学をあとにした。
浩輔がマンションに帰ると、珍しく河崎が先に帰っていて、しかもキッチンで何かやっていた。
「わ、どうしたんですか? これ」
キッチンにはジャガイモ、大根、たまねぎ、にんじんなどの根菜からきのこ類、白菜、キャベツ、レタスなどの葉物、牛肉、鶏肉、豚肉などたくさんの食材が置かれていて、シャツを腕まくりした河崎がにんじんを切っていた。
「いや、寒いから煮物でもしようと思って、何が必要かわからなかったから適当に買ってきた」
市販のシチュウのルーなどもいろんな種類が置いてある。
浩輔はバッグやコートを置いてくると、一緒にジャガイモの皮を剥き始めた。
「さっき兄さんに会って来ました」
河崎はだまってにんじんを切っていた。
「俺のことは心配しなくていいからって、言ってきました」
すると河崎はにんじんを放り出して急に浩輔を抱きしめた。
「俺はもうお前を失いたくないんだ」
浩輔の頭の上から、振り絞るような低い声がした。
「……河崎さん……俺はどこにも行きませんから」
不安を抱えながら、生きているのは自分だけではないのだ。
「とにかく、お腹空いたし、早いとこ作っちゃいましょう」
煮物はビーフシチュウになった。
できるまでに時間があったので、交代に鍋をみながら風呂に入り、河崎がバレンタインにもらったワインを開けて、河崎も今夜は新聞を読みながらではなく、いつになくゆったりとした食事となった。
「美味いぞ」
河崎は嬉しそうに言った。
「ほんと、美味しい」
こんなちょっとした幸せが嬉しい。
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