この得体の知れない感情が何なのかは千雪にもわかっている。
それが京助なんかのことで沸き起こるのが、自分で許せない。
だが、こんなじりじりと焼けるような焦燥感とはあまりつきあったことがない。
自分に向けられた言葉がウソだとは思いたくないが、あちこちで語る愛もウソではないのかもしれない。
俺だけを見ているわけやない。
俺だけを……
よく似た思いを随分昔に感じたことはあった。
けれどそれは、あの真っ直ぐに自分に向けられた眼差しによって、すぐに安堵に取って代わり、千雪にはそう縁のないものだったはずだ。
昔、自分だけに注がれる視線があった。
ふと、その深い瞳の色を思い出しそうになり、千雪はそれをやんわりと記憶の底に押しやった。
第一何で俺がそんな感情に惑わされなあかんね。
京助が勝手に俺に執着しとるだけで、俺には関係あれへん。
「先輩? 聞いてます?」
佐久間の声に、千雪は我にかえる。
「数合わせなら他をあたれ。俺のことにはもうかまうな」
千雪は立ち上がる。
「ちょ、先輩ぃ!」
「ごちそうさん、あ、ゴミも頼むな」
千雪は飲み干した紙コップを佐久間の持っている空のコップに重ねると、たったかカフェテリアを出た。
つい先日、三作目の小説を書き終えてほっとしたところで、なんとなくこれからのことについてゆっくり考えたいと思った千雪は、自分の居る場所をもう一度再確認するために、随分久しぶりになるが、正月には実家に帰ってみようかと考えていた。
ここのところ何かというと熱に浮かされたように京助のことばかり考えてしまう、ちょうどそんな頭を冷やすのにいい頃合かもしれない。
ひとり立ちを目標に東京に出てきたはいいが、電車の乗り降り、近所づきあい、ゴミの出し方、どれをとっても最初は何をどうしたらいいのかわからず途方にくれていた。
家に来いという伯父伯母、従姉の小夜子の誘いを断って一人で悪戦苦闘はしたものの、いつの間にか世話をやかせていたのは時季外れに推理小説研究会に入ってきた京助だった。
しかも学年が上だと知ったのは随分あとになる。
だが心まで寄りかかってしまっては、自分がだめになりそうだ。
一人で歩いていかなければならないのだ。
自分だけに差し伸べられる手はとっくにないのだし。
いつまでも自分の思い通りになるはずがない。
割り切った、というのが、大人のつきあいの大前提なのかもしれない。
ふうと一つ深呼吸をする。
研究室のある八号棟に向いながら空を見上げると、鈍い冬の色をして彼方へと広がっている。
幸せにやってんのかな、研二。
最近、実家の菓子屋を継いだという幼馴染みの遠い眼差しに、千雪はしばし思いを馳せた。
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