思いがけなかったのは、江美子の夫でアホ旦さん、バカ旦さんと同級生の間では名前も呼ばれることがなかった男が、まるで心を入れ替えたように遊びにも出ることがなく働いているという。
『おかしいて、あの人、絶対どっかでまたボロ出さはるて、島田くんら言ってるし、うちもまだ全然信用してないけど、おばちゃんが、少しは子供の父親やいう自覚がでけてきたんやないかて』
慶一という名前だと、葬式の時にやはり初めて知ったその男は、立派にボンボンの優男にしか見えなかった。
『俄かには信じられへんな。江美ちゃんがおらんよになったよって、いずれ店は自分のもんになるとか、喜んどるんちゃう?』
『うん、うちもまだ全然信じられへんけど、久美子ちゃんのためには、実の父親がしっかりしてくれるんが一番ええ思うけどな』
『でもまだ若いンやろ? 後妻さん迎えはることも考えてんやないか』
『それはある思う。とにかく久美子ちゃんが一番やから、後妻さん迎えはるんやったら、店は出ていかはるんが筋や思う』
『そやな』
菊子はちょくちょく久美子の顔を見に裏から沢口家に寄っているという。
ともすると江美子のことを思って涙する母親を菊子が慰めたりしているらしい。
『そや、肝心なこと! 桐島さん、三田村とモトサヤみたいやで』
『ほんまか? そらメデタイ』
『桐島さん、江美ちゃんのことで、何か大切なものを置き去りにしてる気がしたとか言うて、そしたら、自然ピアノもこだわりがのうなってまた弾けるようになったて』
『ほな、プロポーズは受けたん?』
『それはまだ先の話らしいけど、三田村も仕切り直しやて』
桐島はまたドイツに発ったようだが、三田村もこれで少しは気が晴れたことだろう。
「飲み会、三田村、ハイテンションで来よるな」
辻や研二との飲み会は、研二の店の方が一段落ついてからということになっていた。
十月に入ると街路樹の葉が少しずつ色を変えつつあり、季節は秋の様相を呈していた。
それでもまだ温かい日はテラスでコーヒーを飲むのには問題なく、無精髭の京助は難しい顔で頬杖をついていた。
「寝てないって顔だな、色男」
向かいに座ってニヤリと笑ったのは速水だった。
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