二年ほど前に書いたものだが、何だかあの頃のことが不意に思い出され、あの頃の人々が話の中でずっと生きている気がする。
「この人、研二さんでしょ? 和菓子屋の若旦那って、そのままじゃないですか」
良太はクイズの答えのように、登場人物を当てて喜んでいる。
「俺、ここのところ、好きなんですよね、思い出というくくりの中でしか会えなくなった誰かとこちらは懸命に話そうとするのだが、相手はただ微笑んでいるばかりだ。いずれ誰もが思い出というものの住人になるとはわかっていても、幸せな記憶と同時に哀しみのかけらを手にしたまま、与えられた時をまだ生きねばならないのだ、って何か哲学的」
良太が小説の一節を声に出して読んでみせたが、漠然と何かを感じ取っているようだが、哀しみが痛みであることなど良太にはまだわからないだろうし、わかってほしくはないと、千雪は思う。
良太にはそれこそほんわかとした幸せな時が似合っている。
いつかは知るだろうが、それはずっと先のことであってほしい。
「哲学的やなんて、わかってんのんか?」
千雪は笑った。
「バカにしないでくださいよ、これでも哲学とかとってましたから、大学の時」
「般教やろが」
「まあ、そう、ですけど? とにかく、このふんわり系の人、を読み解くために、もう一度、最初から読みますから。でないとキャスティング進みません」
良太はきっちり宣言した。
「今日はお二人とものんびりしてらして、いいわね。ここのところ、ほんとに忙し過ぎだから、良太ちゃん」
ちょうど小腹がすいたと思っていたところへ、鈴木さんが香しい紅茶とシュークリームを乗せたトレーを持ってキッチンから現れた。
「甘いものを召し上がって、色々考えてくださいな」
「わ、ありがとうございます! このシュークリーム、あの青山の店のですよね?」
良太は千雪の原作本をソファに放り出して、早速シュークリームに取り掛かった。
「うまそや~、俺、そういや昼にサンドイッチ一つしか食うてなかった」
「ええ? 京助さんの愛のこもったお弁当はなかったんですか?」
「あいつの愛は弁当にまでうっとおしいんや。まあ、あれば食うたけど? 今海外出張やからコンビニで買うたんやけど、今一つまずい、いうか」
「それ贅沢過ぎ! 俺なんかコンビニだろうがスーパーだろうが、カップ麺だろうが、腹がすけばガッツリ行きます」
「良太はほんま、どこでも生きていけるわ」
「はい! それだけが取り柄です!」
こんな会話も和みのひと時も、いつの間にか戻ってきていた。
もう二度と笑えるんやろか、とか思うたのに。
痛みは忘れられるものではないが、時に流されて思い出す頻度が少なくなるのだ。
だからこんな穏やかに過ごすこともできるようになった。
だが今でも唐突に、昨日のことのように思い出すことがある。
特にこんな空の青さを見た日には。
九月の終わり、あの日、まだ残暑が厳しいながらも、空が高い秋晴れだった。
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