これはかつての時間を知っている千雪だからこその感慨だと思っていたら、年配の女性と若い女性が、「何だか涙が出てきちゃう絵だね」と目頭を押さえている。
そうなんや。
俺だけやないんや。
見る人の心の琴線に触れるものがあるんやな。
あらためて絵の持つ力を、千雪は感じた。
「千雪さん」
背後から呼ばれて振り返ると、九条館長が立っていた。
「ほんとに、いい絵ですよね」
柔和な微笑をたたえたまま、九条はしみじみと言った。
「いや、何か、初めて実感しました」
「灯台元暗し、ってとこでしょう。こうして、きちんと展示することで、わかってくるものはたくさんありますよ」
「そうですね」
しばらく絵の前で佇んでいた千雪に、「よかったら事務所でお茶でもいかがです?」と九条が言った。
断る理由もみつからず、千雪は頷いた。
「ロンドンに行くと必ずここのお茶を買って帰るんです」
九条が入れてくれた紅茶は豊かな香りがした。
「美味しい」
「このマフィンもいけますよ」
九条はヨーロッパが好きでよく行くらしく、あらゆる美術館でいろいろな画家の作品を見て回ったが、それでも原夏緒は特別な画家だという。
「あなたを前にしてこのようなことを申し上げるのは失礼かもしれないが、昔昔ね、私は大学の卒業制作展で一つの作品に出会い、本当に好きになった。そしてその作者を紹介された時にビビっときたんです」
九条はお茶目な顔でそんなことを言った。
「残念ながらあなたのお父様にはかなわなかったが、原夏緒という一人の画家はずっと愛しておりました。娘にもからかわれますけどね、絵に恋しちゃってるみたいって」
九条は話しながら頭を掻いた。
「キモいとか思われるかもしれませんが、今回、念願がかなって原夏緒の展覧会を開催できたことは一生の宝ですよ」
マホガニーの大きなデスクには家族の写真が飾られていて、おそらく妻と娘二人なのだろう、幸せそうに笑っている。
「奥様はイギリスの方なんですか?」
「そうなんです。陶芸をやってましてね。今は自宅で陶芸教室なんか開いているんですよ」
美人という雰囲気ではないが、地味で可愛い人だ。
娘は高校生くらいだろうか。
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