「あ~あ、どないしょ……」
エラリークイーンもやっと国名シリーズが終わって、「悪魔の報復」に取り掛かったところだったが、本を広げても全く文字が頭に入ってこない。
「おいおい、本も読めんようになったんちゃうやろな?」
他人事のように言うと、千雪は本を閉じた。
「どないしょ………」
もう一度呟くと、洗い物をやらねばならなかったことを思い出し、千雪は立ち上がった。
シンクに行って洗い物を片付けると、寝室のクローゼットから自分のコートを取り出して羽織り、リュックを掴んで玄関に向かった。
スニーカーに足を突っ込むと、ドアを開けた。
途端、強い風が吹きつけてくる。
千雪はすぐにドアを閉め、使っていたカードケースごとカードキーをドアの下の隙間から中へ滑り込ませた。
千雪は階段を降りてドアを通り抜けると、「寒いですねえ、お出かけですか?」と管理人が声をかけてきた。
「はい」
千雪はぺこりと頭を下げる。
「いってらっしゃい」
いつものように管理人の声に送られて千雪はエントランスを出た。
向かい風に首を縮こませながら、千雪はなだらかな坂を下って行った。
日比谷、芝ビルにある甘味処やさかでは、午後の繁忙時が過ぎ、スタッフが順次休憩に入り、研二はたった今入ってきた年配女性二人組がテーブル席に着くと、メニューやお茶をトレーに乗せて立った。
「ご注文がお決まりになりましたらお声掛けください」
不愛想で強面、でならしてきた自分が接客の仕事をすることになるとは、高校まで道場の畳の上で人を投げ飛ばしていた頃の自分には考えもつかなかっただろうと思う。
客を睨むなよ、などと学祭の模擬店でジョークで接客をやらされた時は、案の定客に怖がられて皆の笑いをかった。
スマートでスッとした顔をしているスタッフの方が接客にはいいのではないかと思う研二は、なるべく客の前には現れないようにしていた。
だが、マネージャーの大崎には、たまにはお客さんの前に出て、それなりの笑顔になる練習をしてください、などと言われている。
無論、自分の店、なのだから当然と言えば当然なのだが、やはり苦手意識はぬぐえない。
「同級生の前だと自然に笑ってるじゃないですか。お客さんは同級生だと思えば大丈夫」
女性スタッフに言われたのは千雪と喋っている時のことだ。
back next top Novels
にほんブログ村
いつもありがとうございます
