「アホやな、もう逢われへんみたいな顔するな。俺はどこへも行かん。ここにおるし、またいつでも逢えるわ」
穏やかな声で研二は言い、片方の手で千雪の頭を撫でた。
「ほな、頼んます、京助さん」
京助がコートとバッグを掴むと、研二はドアノブに手をかけた。
「いやや、研二……」
バタンとドアの閉まる音が千雪の声を遮った。
「いやや………」
京助は逃れようとする千雪をコートやバッグごと抱きしめた。
「……いやや……研二………」
しばらくそのまま動こうともせず、千雪は泣いていた。
何も言わず、京助は千雪をただ抱きしめていた。
ドアはもう開かなかった。
閉じたのは過去へのドアなのだ。
漠然と、千雪は悟っていた。
もう二度と開くことはないのだと。
戻ることはできないのだと。
ずっと研二と一緒に歩いて行きたかった。
あの日降り注いだ桜の花びらのように哀しみが千雪の全てを覆いつくした。
木偶の棒になった千雪にスニーカーを履かせ、抱えて京助は車に乗せたが、ようやく泣き止んだ千雪はおとなしくシートに凭れて目を閉じていた。
京助は千雪を自分の部屋に連れてきてベッドに寝かせた。
この選択がよかったのか悪かったのかなんてことはわからない。
朝、退院許可が出る前に、教授から電話で招集がかかった。
イラつきながらも仕事を終えて部屋に戻った京助だが、正直、どうせ無様ついでに、もう一度千雪に問いただしてからでないと、千雪を諦めるなどできなかった。
京都から帰ってきたことは小夜子からの連絡で聞いていた。
アパートに寄ってみたがいる気配はなく、どうせ研二のところにいるに違いなかった。
「これからでも研二の部屋を強襲するか」
そんなことを呟いた京助の携帯が鳴ったのは八時頃だったか。
「怪我の具合はどないです?」
予期しない研二の声に、京助は何だろうと訝しんだ。
「自分で思ってた以上に頑丈みたいだぜ? うちの教授は動けさえすれば否応なく検死解剖に駆り出すんで、たったさっき一仕事終わったとこだ」
「タフやなあ、京助さん」
ぐっと京助は知らず拳を握りしめた。
「千雪を返してくれねぇか」
結局は堪え性のないお山の大将だ。
だが、形勢不利となったら土下座でも何でもしてやる。
千雪がいない明日なんざ、いらねぇ。
「ほな、お疲れのところすんませんけど、十一時頃でええんで、千雪を迎えにきてもらえまへんか?」
京助は一瞬言葉を失くした。
「何だ、それは? お前、何言ってるんだ?」
京助は苛立って声を上げた。
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