かぜをいたみ24

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 翌日、大学から戻ると、ユニフォームのように着ているオヤジジャージをデニムと黄なりのシャツ、麻の薄いブルーのジャケットに慌てて着替えて千雪は日比谷の芝ビルへと出かけて行った。
 『やさか』が混んでいるかどうかは、ガラス張りの通路の方から行けばわかるだろうと、千雪はスニーカーの足元も軽く店へと向かう。
 だが、ガラスの向こう側に研二の姿を認めて、笑みを浮かべてすぐに、研二が話しているのが檜山匠だということに気づいた時、その笑みは消えた。
 匠を見下ろしている研二の表情はひどく優しく柔らかかった。
 千雪はしばし立ちどまったままガラスの向こうを見つめていたが、研二が顔を上げた時に千雪に気づいたらしく、笑みを浮かべて手を挙げた。
 匠も千雪の方を見た。
 千雪はふと、匠の顔が少し曇ったような気がした。
「ごちそうさまでした。それじゃ、また」
 千雪と入れ替わるように匠は店を出た。
「これから高校ん時のダチと飲み行くんや」
 口にした言葉は何となく言い訳染みていた。
「いいですね。俺はこれから稽古です」
 ほっとしたように匠は言うと、店を出て行った。
「夏の公演があるんやて、匠」
 匠が研二のことを友達以上に思っているかも知れないとは、千雪にも何となくわかっていた。
 それを邪魔する資格は自分にはないことも。
 それでも二人が近づくことに嫉妬のような感情が沸いて出るのをどうしようもなかった。
「どうぞ」
 涼しな菓子を乗せた皿を千雪の前のテーブルに置いて研二が言った。
 ぼんやり頬杖をついていた千雪ははっとして、目の前の淡い翡翠色の菓子を見た。
 透けて見える餡とともに小さな笹の葉に乗せられている。
「ほんまにきれいや」
 千雪が呟くと、周りに座っていた年配の女性も若いOL風な女性たちもチラチラと千雪の方を見たが、千雪は気づきもせず、研二を見上げた。
「食べるんがもったいないなあ、いつものことやけど」
 そう言いつつ黒文字で菓子を切り分けて一口食べる。
「微かに酸っぱいんが何や癖になる美味さやな」
「うまいこと言うやんか」
「ほんまや。小夜ねえにも教えといたろ」
「ほな、これは合格いうことにするわ」
 研二は笑みを浮かべてそう言うと、「上がるまで三十分くらい待っとって」とバックヤードに戻って行った。
 つい、研二を目で追っていた千雪は、ふと斜め向かいに座る一人の女性と目が合った。
 ふわりと垂らした栗色の髪、大きな瞳、小作りな顔は可愛く整っていて、今風な夏のドレスに身を包んだその若い女性に、何となくどこかで会ったろうか、と千雪は思ったものの、記憶にはなかった。
 その時、ポケットで携帯が振動した。
「ああ、何、大阪? 遅うなるんやろ? 三田村らと飲み行くし。迎えなんかええわ! 京助疲れとるやろ。何時になるかわかれへんし」
 携帯を切ってポケットに仕舞う時、またさっきの女性の視線に出くわした。
 
 

 


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